ロマサガ2、31周年にかこつけて最終皇帝の話する

日付的に12/10のうちだからまだ許されるよね!!!ねっ!!!セーーーーフ!!!!!!!!!!ロマサガ2〜〜〜〜!!!!!!31周年!!!!!!!おめでとうございます!!!!!!!!!!!!

ロマサガ2が……発売から……31周年……すごい数字だ。

大人と言われる年齢になってからまあまあ経っている(やわらか表現)と、子どものころに親しんだ作品が数十周年単位のお祝いをされる作品になっていることの方が多くて

「もうそんなに経ったの!?」

「00年代はむしろ最近なのでは?」

「90年代はちょっと前でしょ」

などの認識バグが稀によくあるわけですが……

まあ私の場合はロマサガ2はしっかり大人になってから、というかむしろ2年前に初めてクリアした初めてのサガシリーズだったわけだし、現在のところ唯一無二のサガシリーズクリア作品なのでめちゃくちゃ最近の作品ですけど?とも言える。

そんなわけなので発売当時の思い出も無いし、子どものころに好きできょうだいとやっていて……などの心温まるエピソードも無く、普通に縁あってプレイし、昔親しんだ無慈悲時代のSFCの潮流を感じる! と喜んで……はいたけど、これ当時の小学生がプレイしたのかよ、という気持ちもすごく持ちながらの初プレイをHDリマスター版でしました。

その様子は去年の周年記念のときに「せっかくだから」と書いたものがあります。
私の初プレイをなんとなく読んでみたいなと思った方はこちらをどうぞ。

で、今年は何を書こうかなと思ったんです。

去年の↑のプレイ記未満のもので、途中を箇条書きにしているからもっと詳細に書こうかしらと思いもしたんですが確認したらこれ以上書くと長くなりすぎるのでやめました。

文字書きなのだからなにか一編書ければいいのですが、長くなりすぎるものとまだ書けないものがありすぎるので、だったら、と。

みんなの夢を背負う、「最終皇帝」陛下たちのことを少し書いてみようかな、と思い立ったのでした。

まあなので記念というよりも記事タイトルにある通り、周年にかこつけて普段書いていないことを書いてみますよ、というエントリです。

相変わらず前置きの長いこと長いこと。

お暇つぶしをお探しでしたらしばらくお付き合いくださいませ。

以下は目次です。

  • あなたにとっての最終皇帝は、どんな姿をしていますか。
  • ゲームでの印象
  • 最終皇帝、夢、背負わされがち
  • おわりに

あなたにとっての最終皇帝は、どんな姿をしていますか。

ロマサガ2の最終皇帝。

ゲーム開始時に主人公を選ぶことは数多くあれど、まさかその最初に選んだはずの主人公を操作することがゲームの最終盤になるとは思わなかった存在としてプレイヤーの心に刻まれていますよね。私はそうです。

そして最終皇帝の姿は男女あり…………ロマサガ2の場合は小林智美先生のイラストの最終皇帝男女、ドット絵の最終皇帝男女、のちょっととんらんする仕様が待ち受けています。

そこへ更に今年リメイク版の3Dの陛下たちが新たに加わり、最終皇帝結局6人になった……ってコト!?

舞台版を忘れるな!
女帝陛下がいらっしゃるだろうが!

いやいやソシャゲ時空はどうなるんだ!

最終皇帝、姿が増え続ける……

どれが最終皇帝で、何が最終皇帝なのか?

最終皇帝とは何なのか?

その謎を探るため、我々探索隊はサラマットの奥地へ……行く前に普通に人それぞれだろうな、っていう結論に行きつくわけですが。

たとえば、雑誌で見たからイラスト版の最終皇帝が最終皇帝としての姿として認識している方もいれば、ドット絵の最終皇帝が一番に思い出される方もいるだろうし、もちろんリメイク版がはじめましての場合は3Dの最終皇帝が思い出されるでしょう。

実際に私は自分の初プレイにそのまま引っ張られる形で「最終皇帝といえば」ドット絵の最終皇帝(男)でした。

やはり自分のゲームプレイでずっと姿を追いかけていたのはあのドットの姿なわけです。
愛着も親しみも一番にある。

じゃあ、他の姿の陛下たちをどのように思っているのか?

私の認識的にはこのそれぞれの姿の最終皇帝は全員別人格というイメージでいます。

この辺りもプレイヤーの数の分、それぞれの人によって、それぞれ認識が違っているだろう場所ですよね、きっと。

どれか一つを選ぶ人もいれば、男女でくくって選ぶ方も、もちろん全員という方もいるでしょう。

性格をどのように捉え、どのように飲み込み、どのように寄り添うのか。

だからちょっと聞いてみたい話題でもある。

あなたの最終皇帝って、「誰」ですか? と。

ゲームでの印象

最終皇帝の代になり、すぐ、最終皇帝が言った言葉は驚いた。
いや多分、どなたにとってもきっと大なり小なり心に残ったセリフではないだろうか。

文字通り最後の皇帝として、存在しているひと。
その人物が初めにそんなことを言うことがかなり衝撃的だった。

自分の命というものを代替品のように扱える心を持ち得てしまったのだな、と。

ああ、この人はもう人間の枠組みからは外れてしまったのかもしれないな、と。
それでも人という枠組みの中で皇帝として国を動かし人の世のために戦っている。

「〝皇帝〟とは、何者なんだ」

そんな問いが頭を通り過ぎていく。そしてその問いは居座る。ふとした時に考えてばかりいた。

さらにこの最終皇帝の代になると、全滅してもタイトル画面に戻されるだけになる。
本当にこの代で戦いに倒れてしまった場合に、そこで帝国史が終わる無常ささえ感じるあっけなさ。
ロマサガ2って容赦がないよなと強く感じた。

まあ最終皇帝がLP0になった時の演出もそれはもうヤバいとしか言いようがないけれど……あれは……あれはさ、ずるいよ……ずるい……

いや、システム的な面白さ起因の問題であり、そこに物語性を見出すのは私が書き手だからなのかもしれないが、だからこそニクいのだ。

それは「最終皇帝」だからこそ起こりうることだから。

「次がある」と軽々しく発言をしたあと、オアイーブに否定されて、すぐに「そうか、では大事にしよう」という言葉を返す。
あまりにも潔くすぐ出される返答は、しかし自分を大事にするためではなく国のために自らが死ぬ前に七英雄打倒をなさねばならないから死なぬようにしよう、というものであって全く自分のことを顧みていない。

最終皇帝は、その前身の描写が全くない。

どのクラスの者だったかもわからず、そもそも仲間のクラスから排出されたのかも分からない。出身がどこなのかも、それまで何をしてきたのかも、何も。

さらにゲーム性で言えば、やろうと思えば最終皇帝でなくともクリアが出来る。

そこから導き出される「最終皇帝が本当に最後の砦である」という事実。

浪漫を感じないわけがない。

ロマサガ2、ひいてはサガシリーズ全体にもきっと言えることなんだろうけど、セリフが少ないからこそ想像を掻き立てられ、そのバックグラウンドにも興味を引かれる存在がいることが大きな魅力になっている。

まあ、私がいわなくとも、きっとそれぞれが思っていることだとは思うけれど。

最終皇帝、夢、背負わされがち

さて、そうして浪漫を強く感じた存在に二次創作をするタイプのオタクが次にすることはもちろん二次創作である。

どっこいロマサガ2は他のゲームに比べればかなりキャラクター性が薄味だ。それこそが魅力でもあるけれど。

そうするともちろん原作の要素を元にして作るのである程度までは下地があるけれど先に言ったように最終皇帝が最終皇帝として存在する時よりも前、何をしていたのか、どこで生まれどこで育ちどうやって皇帝となったのか、指名されたのか、は分からない。

そう、そこを妄想で埋め尽くすことが可能なのだ。

行間があるとかいうレベルではない。

空白があるのだ。

そこへオタクはせっせと夢を詰め込む。

厨二病も真っ青の在りし日の「わたしのかんがえたさいきょおのさいしゅうこうてい」を作るのである。

脳内妄想は自由だ。

そして全くの無から生えたわけではなく、「もしあの原作要素のあれがそれしてこうなったら」なんていうおいしい味付けも可能だ。

だって妄想だから。

その妄想の旗印として、最終皇帝という存在はあまりにもおいしい。

だって浪漫の塊じゃん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(クソデカdB)

白状すると、私が今書いている最終皇帝はそれはもうオタク(私)の夢と夢と夢を過積載している。その詳細は書いていないけれど、100万文字使って書けるレベルのネタを最終皇帝が潰れるほどに過積載させている。(大事なことなので二度言った)

それを物語として、小説なり漫画なりイラストなり詩歌なり音楽なり、何かしらの媒体として書(描)く予定があるにしろないにしろ……やはり、最終皇帝はプレイヤーの夢を少なからず乗せて存在しているのではないだろうか。

様々な最終皇帝の創作を見る限り全てが私の妄言という訳でもないはずだ。

それはゲームという媒体だからこそであり、帝国史がプレイヤーの数だけあるように、最終皇帝もその数の分だけ存在しているのだから。

ここまで書いてふと思ったけれど、自分で書いている最終皇帝の設定を私はこのサイトで書いていないのでのちほど(明日以降かもしれない)本に収録している設定集を上げておきます。
あとはたぶんどこにも書いていないドット終帝についても少し。ドット終帝くんは幼女だから……

おわりに

「最終皇帝」というテーマに絞り書いてきましたが、書き始めた当初は書けることがあるかしらと思っていたけれど、こうして改めて書いてみてそれでもまだまだ書けることがあるってすごい。

最後のまとめなのでせっかくだからエンディングの「最終皇帝」についても少々。

あの酒場で、最終皇帝は「忘れられた存在」と自らを称する。
共和国になった元・帝国で、彼、彼女は一体何歳になっているのか、と考えたことがある。

戦いが終わってすぐなのかもしれないし、文字通り「忘れらるほどに年月の経ったとき」なのかもしれない。

明確な答えは無くただゲームの中では「忘れられた存在」になっている最終皇帝。

最後、忘れられた存在だと当人は言ったけれど、詩人がそれを否定する。

迎えに来るのは最後の戦いを共に潜り抜けた仲間たち。

そして流れていく星を背にタイトルが表示されるあのエンディングはなにもかもがうつくしい。(SFC版をプレイしていないのでこの画面が違ったら申し訳ない)

多くを語ることなくそれでも最後まで謎めいてミステリアスな魅力をふりまき続ける最終皇帝を取り巻く物語性。

あの最後も、また、人それぞれの認識がきっと異なる場所であると思う。

最終皇帝はどこへ行ったのか。

最終皇帝は迎えに来た仲間と果たして何を話したのか。

最終皇帝はあの時一体どのような存在になっていたのか。

その答えはプレイヤーの心の中に数多転がっているのだろう。

いつか聞いてみたい。知り合いの〝皇帝だったひと〟に。

それともいつか巡り逢えるだろうか。
どこかの酒場を転々とする詩人が語る、だれかの紡いだ「遥かなる戦いの詩」を。

31年前の今日、紡ぎだされ始めたその詩は、今年リメイクも経て更に長く広くうたわれ続けるだろう。

自分の手のひらのなか、コントローラーが紡ぐその詩を。

歴史を紡ぐ物語が、歴史になっていく。
ロマサガ2の唯一性がここにもある。
その31年目を肌で感じることが出来たことが嬉しい。

まだこの先も続く歴史を眺めながら、数多居る〝皇帝〟のひとりとしてまた戦おう。

最後に詩人の言葉を借りる。

「この詩をうたい終えられるよう 精霊よ、我に力をあたえよ!」

次の帝国史は、果たしてどのような歴史になるのだろうか。
まだ私にも、わからない。

じゅうぶんおとな。