このお話は、本が完売しようとしまいと、2026/8/8に全編web掲載します。
今回は本のサンプルとして一部掲載ですが2026/8/8以降は全編をwebでご覧頂くことが可能です。
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身体は勝手に動いた。庇い立てた相手がどうなったかヘクターには見えない。
「陛下!」
「ヘクター!」
叫び声が聞こえる。
腹部の激しい痛みと、次いでやってくる頭への衝撃。
あっという間に、ヘクターの意識は暗い暗い闇に沈んだ。
◇ ◇ ◇
「は?」
ぱち、と目を覚ましたヘクターの目に飛び込んできたのは無機質な灰色をした壁だった。――いや、天井か。細い線が等間隔に横に伸びて横縞を作るように天井を覆い尽くしている。その横縞に沿うように長方形の青白い灯りが天井に嵌め込まれ辺りを照らしている。
徐々に様々な感覚が呼び起こされる。背中には硬い感触。飛び起きて辺りを見回す。
「なん、だ、ここは……」
ヘクターは狼狽えた。自然と手が伸びたのは腰元。剣はある。確かめるように剣の柄に右手を置きながら気配を探り視線を巡らせるが嫌な汗が流れる。
その場所は異様、と言うほかない。
石造り、のように見える灰色の格子柄をした壁に囲われた……通路のようだ。幅はヘクターが両手を広げても余りあるが二人ならば両手を広げれば端から端まで届くだろう。
床も壁と同様に灰色で溝が格子状に走り一マスを正方形に区切っていた。それが規則正しく並んでいる。その中で一際目立つのが黄色い謎のブロックだ。正方形の一マスに五本縦に並んだ突起があり、道順を示すかのように直線に並んでいた。なぜ統一された床にわざわざそのようなものをはめ込んでいるのか分からなかった。
立ち上がりながら視線は上へ向く。再度確認した天井にある細長い長方形の光を灯しているもの。あの中にどういった術が施されてあかりを灯しているのか、ヘクターには分からない。だがまるで昼のような眩しさを宿しているところを見れば高度な術が施されているのだろう。外ではない場所でこんなにも明るくするすべをヘクターは知らなかった。
辺りの気配を探る。
どこからか吹いている風の通る音と、妙な唸り声のような、虫の飛ぶ耳障りな音のようなものが聞こえるのみで生物の気配はない。
その場に留まっていても仕方がないので、ヘクターは辺りの確認のため歩き出した。右手は変わらず剣の柄頭を押さえて。
下手に声を上げることも悪手に思え、無言のまま辺りを警戒しつつ進む。
同じ天井、同じ壁、同じ床。
時折壁に何かの掲示物があるが、書いてあるのはおそらく文字と推察出来てもヘクターには読めなかった。
コツコツと踵が慣らす音を聞きながら進んだ先、角を曲がり、景色が少し変わる。
天井も、壁も、床も、下地は変わらなかったが、左手の壁には何かの宣伝の色とりどりの掲示物がやはり等間隔で並んでいた。右手には扉と思しきものが三つ。それから通気孔なのか、格子状の金属の蓋が二つ、扉の右上にあった。
周囲を警戒する。やはり気配は感じられない。
通気孔からはあの耳障りな音がした。舌打ちをしながらヘクターはまず扉に近づいた。手っ取り早く他の場所に繋がっているだろう箇所の探索をするために。
躊躇なく取手を手にした。掴んだ取手部分は捻ることが出来たが開かない。押しても、引いても、力の限り取手部分を捻っても扉自体に鍵が掛かっているからかガタガタと揺れはするものの、何かが引っ掛かっているような感触をヘクターの手に伝えるだけだ。
全ての扉で同じように試したが結果は同じだった。そのうちのひとつ、真ん中の扉で勢い余って取手を壊したがやはり扉は開かなかった。取れてしまった取手をそのあたりに投げ、次に通気孔に手を出す。
高さ的にそのままでは手がわずかに届かず飛び上がって手を掛けたが通気孔の格子も外すことは出来なかったため、早々に諦めたヘクターは先に進むことにした。
色とりどりの掲示物を横目に、角を左に曲がり、次に右へ進むと、妙な既視感がある。格子状の壁を横目に直線的な道を歩く。前方の壁に四角い何かの文字が書かれているものがあるがヘクターには読めなかった。
相変わらず気配は無く、同じような景色の中を進んでいく。
また左に曲がり右に曲がった直後。
「……おい、ふざけるなよ」
先ほどとまったく同じだとわかる景色に辿り着いた。
左の壁には色とりどりの掲示物があり、右の壁には扉が三つ。通気孔が二つ。
訳のわからない空間に閉じ込められたことをいやでも理解させられた。
ヘクターは顔を顰めながらそこに立ち止まると一瞬考えたのち踵を返す。
来た道を戻る。
左に曲がり右に曲がって。
「クソ」
左の壁には色とりどりの掲示物があり、右の壁には扉が三つ。通気孔が二つ。
「前に進むしかねえのかよ」
進んでも戻っても景色は変わらなかったのだ。
一体どのような不可思議な術がかけられているのかヘクターにはわからない。
だが立ち止まっていても解決しないだろう。
苛つきをそのまま靴にこめてつるりとした床を蹴り上げ進む。あの見覚えのある場所になってしまった色とりどりの壁と扉を通り過ぎる。
――そういえば、壊したはずの真ん中の扉。取手が元に戻っている。
そのことに気づき進めば何かが変わるのか、とまたもう一度扉を壊してみることにした。
今度は一番奥の扉の取手を壊す。易々と出来るわけではないがそれなりに壊そうとして力を込めれば壊せた。また壊した取手を投げ捨てる。カランカランと音をさせて床に転がったのを横目にヘクターは前に進んだ。またカラン、と音がした。
次に同じ場所に辿り着いた時、また変わっていれば進んだことになるのか、戻ったことになるのか、わからなかったが変化ではある。もし壊れたままであれば同じ場所に居続けていることがわかる。
その結果を見るためにヘクターはやや早足で角を曲がる。
足を止めた。
まっすぐの通路の角の近く、今までなかったものがある。
一番初めに目を覚ました時と同じような場所で、壁に黄色の看板が出ているのを見つけた。
そこには何か大きな文字が書かれている。
「なんだこれ」
それからその横にも白い看板が出ていることに気付く。
おそらくそれも文字なのだろう、というのはアバロンでよく見かける街の看板と様子が似ていることから分かるが、やはり読めない。
横に並んだ文字のようなものを眺めながら、ヘクターは右手で己のこめかみをかき混ぜるよう掻きむしった。
「あー! 意味がわからねえ」
「〝異変を見逃さないこと〟」
「……あ?」
「異変を見つけたら引き返すこと、見つからなかったら引き返さないこと……〝8番出口から出ること〟」
真横を見る。
そこには白い看板を前におそらくそこに書いてあることを読み上げる姿がある。
「……ジェラール……様?」
ヘクターの呆然とした声に反応して、真横にいる人影がヘクターを向く。
黄金の鎧に目が覚めるような鮮やかな緑の外套をまとったそのひと。
思い切り開かれた目と目が会った。信じられないものを見たような顔で固まったジェラールを見下ろしているとみるみるうちに眉が吊り上がり、咆哮。
「ヘクター! ひとを庇って傷を負うなんて!」
「はぁ?」
「あまりにお前らしくないことを! 庇い立てることを全て悪いとは言わない。だがあの状況でお前が出ることで状況が悪化するとなぜ分からない! 陣形の乱れがあるのだから攻撃の要であるお前が倒れては防戦一方になって……聞いているか?」
ジェラールの声を聞きながら自分をのぞきこむように腹を撫でるヘクターは、傷が塞がっていることに今更気がつく。そうして思い出した。モンスターに襲われた時分、無茶な庇い立てをしてそれから――気づけばここにいたことを。
「生きて、いるのか、俺は」
「生きていてくれなければ困る!」
すぐさまに返ってきた言葉に顔を上げた。
「良かったよ、お前が無事でいてくれて」
ジェラール様、とヘクターは呟く。身体は慣れた動作で片膝を突き頭を垂れた。こうすべきだと素直に感じる。
「ジェラール様はここがどこかご存知で?」
「それがな……わからない」
「はあ?」
「気がついたら、ここに居た。ここがどこなのかも、何なのかも、つい先ほどまでわからなかった。だがお前が見つけてくれたあの看板に辿り着けたから分かったことがある。〝8番出口〟と呼ばれる場所から、出れるようだ」
そう言ったジェラールに導かれて、ヘクターは白い看板の前に立った。相変わらずヘクターには読めない。
「ここに書いてある。『ご案内』――」
【ご案内】
異変を見逃さないこと
異変を見つけたら、すぐに引き返すこと
異変が見つからなかったら、引き返さないこと
8番出口から外に出ること
ジェラールが読み上げたものを咀嚼するようにヘクターは聞いた。
「なんですかこれ」
「さあな。私にも全くわからない。だがこれはおそらくだがこの通路のルールだろう」
「ルール?」
「書いてある通りなのではないか? この通路は同じ場所を何度も何度も回る。その間に〝異変があれば引き返し〟て、〝異変が無ければ引き返さない〟……つまりそのまま進む。そして〝8番出口〟という場所に辿り着いた時に出られる」
「さっぱりです」
「まあ……私も言っていてよくわからないからね。だからヘクター、行こう」
「は?」
「先へ行ってみればいい。やればわかるだろう」
「ちょ、陛下!」
ヘクターが慌てて叫ぶと、ジェラールは何が楽しいのか軽い声ではは、と笑った。その柔和な顔が目を細めてヘクターを見ていた。
見たことのない場所で、黄金の鎧と緑の外套は酷く浮いている。だがそれはきっとヘクターもそうなのだろう。感覚的に根本的に違うものがこの不可思議な場所に紛れ込んでいる気味の悪さがあった。
ヘクターはため息をついて、また頭をかきまぜるように掻きむしると腰の剣の柄頭を握り込みジェラールの後を追った。
そうして奇妙な道中が半ば強引に始まってしまった。
まずはなかば見慣れ始めた通路だ。
左の壁には色とりどりの掲示物があり、右の壁には扉が三つ。通気孔が二つ。
「ここに何度も来るのだから、〝異変〟というのはここに起こるのではないか?」
ジェラールが推察を話しながら先を進む。
「俺にはいまだによく分かりませんが――なんだ、この音?」
「どうした? えっ」
「ジェラール様!」
ヘクターは弾かれたようにジェラールの元へ走る。そのまま手首を取ると進行方向の真逆、今来た通路を全速力で戻る。
「な、なんだあれは!」
ジェラールがヘクターに腕を取られながら背後を見たらしい。そこに迫り来る赤い水の高波が今にもこちらへ迫ってくるその様を。
その叫びのあと、二人は揃って走る。
角を左へ曲がり、すぐ右へ曲がり、また左を曲がる前に。
「ヘクター! 止まれ!」
「なにを――」
「見ろ」
そこには大きな黄色の看板、その横に案内板がある。
すぐにでも逃げなければ危ない状況だというのにその看板の前で立ち止まったジェラールにヘクターは逃げることを促そうとして気づく。水の音がしない。
はっとして今走ってきた方向を見つめると何もない。灰色の、格子柄をした壁が続いている。
「そういうことか」
ジェラールの呟きに視線を戻す。
「見ろ、ヘクター。数字が進んでいる。今は〝1〟だ。」
指さされた先には数を示すらしい文字。形が変わったらしい。
「そうなんですか?」
あいにくヘクターは覚えていなかった。だがジェラールがそう言うのならそうなのだろう。
「これが変わるたびに先に進んだことになるならば……八度正解すれば出口に繋がるということなのではないか?」
思案するように顎を撫でてジェラールは通路の先へ進む。ヘクターはもちろん追いかけていき、見えてきた景色に納得した。
辿り着いたのは、またもや左の壁には色とりどりの掲示物があり、右の壁には扉が三つ、通気孔が二つある、見慣れた通路。
その先から先ほど流れて二人を襲って来た赤い波は無かったことのように床も壁も乾いていて、いよいよここが尋常ならざる――理の外にある場所だと示されたように感じ取る。
「ヘクター、やはりこの通路で〝異変〟に出会えば先ほどのように取って返せば先に進むらしい」
ヘクターは元来不可思議なことを認めない質である。
だが、体験してしまえば今この時は認めるしかなかった。
〝異変〟を探し、見つけ、対応に正解し続けることを求められることを。
「……面倒な」
「だがこれがここの〝ルール〟なのだろうな」
ため息をついたヘクターとは対照的にジェラールはどこか楽しげだった。
いつかの旅の途中、立ち寄った街で見かけた盤上遊戯に目を輝かせていたことを思い出してこのような状況でもそれに似た楽しさを見出しているのか。
「行こう」
ジェラールに促されるままヘクターは進む。
この場所から出なければならない。
それはヘクターが感じ取っている本能のようなものであった。
この場所から出なければならない。
追い立てられるような、本能。
――あれから。
続けざまに〝異変〟は起こった。
天井にある長方形の灯りがバラバラに設置されていたり、突然灯りが全て消え暗闇になったり(すぐにヘクターは気配を探りジェラールの手を取って引き返した)、右手の開かないはずの扉が開いていたり(ヘクターは気にせず行こうとしたがジェラールが異変と断じた。正しかった。)、目を象った掲示物の横を通ったらその目が動いたり、とよくそのように思いつく、と感心してしまう種類の〝異変〟が起こった。
〝異変〟と言うが〝間違い探し〟に近いだろう。おかしな所を見つければいいだけ。
そうなると続ける内に何を、どこを探せばいいのかは見当がつくようになる。
だからその次は何も無いように思えた。物は揃っているし配置もおかしくない。ヘクターはジェラールにそう言おうとして手首を掴まれる。
「引き返すぞ」
「は? 何がありました?」
「ああ、ヘクターは読めないんだったな。天井にあの……黄色い看板があるだろう? そこの裏側に〝引き返せ〟と書いてあった」
ヘクターはジェラールをなんとも言えない顔で見つめた。
「引き返さなければ、どうなるのだろうな?」
ジェラールは何故か楽しげに笑った。
進んでいることをジェラールが確認して通り過ぎ、またあの通路へ。五度続いた動きは慣れを呼び立ち止まることなく二人は通路を行きじっくりと見回す。今度は先ほどの記憶がまだ新しいために曲がり角の手前まで進んだ後、立ち止まり通路を見直す。通路の中程にジェラールが立ち壁の掲示物を眺めている姿が見えるだけだ。
「無いんじゃないですか」
「うーん、確かに見当たらないな――〝異変が見つからなかったら、引き返さないこと〟ということだから……このまま進めばいいということだろうか」
「じゃあ進みますか」
「いや……」
ジェラールは思案していた。ヘクターはまたぐるりと通路をその場で見回す。
扉が開いていることもなく、赤い波が襲い来ることもなく、天井の看板の裏側もおかしい場所は無い。
「〝異変〟がなけりゃあ引き返すなと言ってるんです、行きましょう」
「そう、だね。……うん、行こう」
歯切れの悪かったジェラールも、ヘクターが促して最終的には頷く。
そうして二人が並び、引き返すことなく先へと進んだ。
辿り着いたのは、この場所の〝ルール〟が書かれた看板、そして黄色い大きな看板。
「ジェラール様、どうしました」
「……戻っている」
視線が示す先を見る。
黄色い大きな看板の数を示す文字が形を変えている。
なるほど、たしかに先ほど……一番はじめに見た形のようにヘクターにも見えた。
出口を示す〝8〟の字でもなく、次に来るはずであった六番目の数を示す文字でもない。
それは始まりの数を表す文字。
「〝0〟……また始めからか」
ぽつりと呟いたジェラールの声にヘクターは呻く。
もう一度最初から、というのはなんとも気が滅入ることだ。
だがそうは言ってもこの場所の〝ルール〟は曲がるはずもなく、諦めて攻略にかかる。
切り替えの早さはヘクターの得意とする所だ。
道を繰り返し繰り返し行くごとに近づいている――近づいてしまう隣を見下ろす。
「行きましょう、ジェラール様」
ヘクターは声をかけ軽く肩に手を置く。
ジェラールは珍しく表情を崩して狼狽えているのを隠せていない。
「あ、ああ。行こう」
心なしか早い足取りに、ふ、とヘクターの口から笑みが溢れる。そうしてまた繰り返す道を歩み始めた。
――続く
