国を守護する剣となりて

6月6日は兄の日なのですって!
素敵なタグ企画がTwitter(X)でございましたのでせっかくならば、と思って再掲します。

ヴィクトールアンソロジーさまに寄稿したヴィクトール様の若き日のお話です。
書き始めて間もない頃の作品なので拙い部分が多々ありますが、これを書いたお陰でヴィクトール様の姿を鮮明に見ることが出来て、忘れられない作品となりました。
チャンネルが合いそうでしたらよしなに!

ヴィクトールアンソロジー様のサイトはこちら!

※こちらの投稿は一週間ほどの限定公開です。ゆる〜く来週の日曜くらいに非公開にします。


国を守護する剣となりて

金色の髪を陽に煌めかせ、空をまあるく切り取りはめ込んだような天色あまいろの瞳が力強く前を見据える。
「ヴィクトール様」
「準備は良いか」
「は! 万事整いましてございます!」
伝令に来た兵士に視線をやり指示する声は幼さを少し残している。だが横顔は十代後半の年頃だとは思えぬ大人びた将の顔であった。
短い確認を終えたヴィクトールは一つ頷きまた視線を前方に戻す。
その先にはこの日攻め落とす怪物モンスターの巣。
いよいよ無視出来ない規模へ膨れ始めたそこは今のうちに叩かねば後々厄介だと討伐が決定した場所。
現在周囲は風の音がするだけでとても静かだ。
しかし戦いが始まる前はいつでも静かだということをヴィクトールは知っている。そして一度始まってしまえば、そこには音が満ちることも。
それは剣の激しく打ち合う音。
それは術が轟く爆発音。
それは進軍の足音。
また、その戦場の音が、彼らの耳を今満たす。
「先駆け!」
ヴィクトールの声が響き、続いて進軍を表す銅鑼が二度鳴り渡る。
真っ先に敵陣へと飛び込む先駆け部隊が各々剣を抜き灰色の空の下刀身を輝かせ、開戦の雄叫びを上げ走る。
その先にはおびただしい、と表すに相応しい数の兎の姿をした怪物モンスター、ゲットーが異変に気付き巣穴から続々と駆け出てくる。
ゲットーは一匹ではなんの脅威にもならないが、その繁殖力と縄張り意識の異常ともいえる執着心は馬鹿に出来ない。普通命が脅かされれば怪物モンスターといえども背中を向けるが縄張りを侵されたゲットーは例え最後の一匹になろうとも向かってくる。
「兎はすぐ増えて敵わん」
ヴィクトールの横で参謀を務める将軍がそう呟く。ヴィクトールは一つ頷き言葉を続けながら己も剣を抜く。
「皇帝陛下は殲滅を我々にお命じになった」
「残しておいては後々面倒ですからな。兎どもを駆逐してやりましょう」
戦いの火蓋は切られ部隊が敵のねぐらへと進んでいく。徐々に徐々に前方からヴィクトールのいる場所へと戦いの音は近づいてくる。
「行くぞ!」
高く突き上げた剣のきつさき剣の第一皇子ソードプリンスの掛け声と共に兵士達の声が重なり混ざりあう。
戦いの音が、満ちていく。

   †

初めのうちはゲットーをひたすらに狩ることになった。戦えど戦えど、追い詰められた兎の怪物モンスターたちは文字通り人間に牙を剥く。
それでも時が経つにつれ確実に数を減らしたが、休む暇をこちらに与えること無く、巣の奥に生息していた別の怪物モンスターが現れ始める。青い肌をした亜人のゴブリンや四足で地を這う紫まだらの大きなトカゲ、タータラまでもが見られた。
戦い方がゲットーのみを狩るものから徐々に変わり乱戦になっていく。それでも前線で剣を振るうヴィクトールの周りは守りが固い。安定して怪物モンスターを倒していく姿は頼もしく、襲い来る怪物モンスターの物量に辟易している兵士達の士気は確実にヴィクトールの存在に支えられていた。
今もまたゴブリンを一匹斬り伏せて、その後ろにいたもう一匹に刃を浴びせようとした、時。
鋒の向こう側には怯えた表情があった。
その時になって初めて、怪物モンスターにも表情があるのか、と妙に驚いたヴィクトールは、そんな自分に更に驚いた。
そうか、目の前のこの生物も、生きているのだなと、至極当たり前の事が頭を通り過ぎて行く。
逡巡は命取り。戦場に立ったならばただ前を見据えよと父に、剣の師に声高に教えられたことを思い出す。
正面には灰色の空を背景に怯えた表情のまま死に物狂いで得物を振り回すゴブリン。
迫りくる命の危機、だというのに足は地に縫い留められたように動かない。
「ヴィクトール様!」
視界が暗くなり次にヴィクトールが見たものは見知った人物の背中。顔の見えないまま、向こう側でぐうと苦しさのにじむ声が漏れたのを聞く。
「っベア!」
倒れこむ巨体を支えきれず共に倒れしてしまう。これを好機と見たか、先程のゴブリンは怯えた表情を引っ込めにんまりといやな笑みを浮かべている。人の声とは明らかに違う嗄れた声を上げながら今度はまっすぐに得物を振り下ろしその欠けた刃が人間の命を奪おうとして――腕ごと飛ぶ。場に似つかわしくない不思議そうな顔で、先がなくなった腕をゴブリンはただ見ていた。
「お前ごときに」
下半身は地に付いたままだが上半身は自由だ。剣筋は冴えを取り戻している。
「やられてたまるか!」
命を斬り上げた剣は高々と掲げられ、ゴブリンは声も無くその骸を地に落とした。
肩で息をしているヴィクトールは、すぐにはっとし倒れ伏すベアをのぞき込む。
「ベア! 傷は!」
「私は……平気です。お守りできて、良かった」
一瞬言葉に詰まる。だがヴィクトールは言いたかった言葉を飲み込んでベアに笑む。
「……ああ、助かったぞ、ベア」
ベアもまた笑みを返してきたが傷の痛みに顔を歪めている。浅くは無い傷だというのは滲む血の多さで分かる。
援軍にやってきた兵士たちにベアを任せると剣の柄を一段強く握り、未だ溢れてくる怪物モンスターを眼光鋭く睨め付ける。
「行くぞ!」
おお、と地を轟く兵士達の鬨の声がヴィクトールの声に続く。
先陣を切り怪物モンスターを次々と倒していくその剣筋は冴えに冴え、確実に数を減らしていく。静かに湧き上がる闘志がヴィクトールを包んでいるのを共に戦う兵士たちは本能的に感じ取っていた。
雄々しく戦うヴィクトールの剣は踊るように敵を薙いで斬り伏せる。真正面から振り落とされる刃をいなし、その勢いを殺さぬまま鋭い一閃が怪物モンスターの息の根を止める。流れるように敵の間をすり抜け剣を振るい確実に仕留める。宮廷で〝剣の第一皇子ソードプリンス〟と褒めそやされた剣の腕は伊達では無い。
その背中に兵士たちは羨望のまなざしを注ぎ、各々の胸には誇らしさを降り積もらせる。
この方が、次代の皇帝。バレンヌの未来を、我らの未来を切り開く者、と。

   †

「おお、お戻りになられた!」
「負傷された方はこちらへ!」
怪物モンスターの巣を落とし、ヴィクトールの率いる隊は帰城した。
帰るなり出迎えによって負傷兵は寄り分けられ、動ける者は荷下ろしを分担する。今回の怪物モンスターは巣にかなりため込んでおり馬車に載り切らぬほどの戦利品があった。
ある程度までは見届け残りを臣下に任せると、ヴィクトールは報告のため側近達を伴い玉座の間を訪れていた。
「ヴィクトール、報告を聞こう」
玉座に威厳を持って深く座るのは豊かな樺色の髪に同じ色合いの髭を蓄え、理知的な森の色の瞳をした金の冠を戴く者――バレンヌ帝国皇帝、レオン。ヴィクトールの父である。
だが今はその立ち位置ははっきりと分かれている。親子といえど気楽に話す時ではない。
「はい、父上。報告の上がっていた怪物モンスターの巣を確認、殲滅作戦を展開し、無事成功致しました」
「そうか、確実に根絶やしにしたのだな?」
「はい、巣の奥まで見回り殲滅を確認いたしました」
「よし。……おまえももう十分に将として戦を任せられるようになった。よくやった、ヴィクトールよ」
鷹揚に笑む父帝レオンにヴィクトールはすぐに反応できずにいた。
戦場からずっと、渦巻いていた感情が素直に喜ぶことをヴィクトールに許せずいた。
だが何も言わないわけにもいかない。
「……ありがとうございます、父上」
レオンは一度頷くと彼の背後を見まわし声を上げる。ヴィクトールの側近達はレオンが自ら選んだ、ヴィクトールと同じ年頃で固めた面々である。その中に見当たらぬものを見つけたようだ。
「ベアはどうした?」
ヴィクトールの肩が震える。視線はそのままに穏やかな口調で続ける。
怪物モンスターの巣にて私を庇い負傷し、今は治療を受けています」
「そうであったか。よくよく労ってやるのだぞ。忠誠心の高い良き戦士だな、ヴィクトールよ」
「はい、父上」
貼り付けた笑顔のまま報告を終えたヴィクトールは、二・三、父帝と軽く言葉を交わし和やかに玉座の間を辞すこととなった。
扉が閉まるとヴィクトールは階下へ進む。道行きを訪ねられるが答えず、その道中で側近達を返すが、どんなに言っても一人ヴィクトールの側を動かぬ者がいた。
「……ジェイムズ、お前も下がれ」
ジェイムズと呼ばれた青年は、肩先まで真っ直ぐに落ちる藤色の長髪を静かに揺らして、冷たい印象を与える容貌通りの冷えた声を出した。
「お断り致します。お一人で行動なさいますな」
「ベアのところへ行くだけだぞ?」
「では付いて行っても問題ありませんね」
「二人で話したいんだが」
「扉の前までお供します……そんなに俺に聞かれたくないのか」
急に言葉を崩したジェイムズにヴィクトールは目を円め、苦笑する。
「友の前ではかっこつけたいだろう?」
「俺のことを友と言うなら、猶更距離を置かれて面白くはない」
「そんなことは無いんだがな」
軽口をたたき合いながら結局並んで歩く。そのうちに肩の力が抜けていくのが分かった。
平和な時間がやってきたことを実感しながらも、だが同時に思うのだ。
いつかこの隣には彼も居なくなるのかもしれない、と。

すでに治療を終えて部屋へ戻っていると聞いたヴィクトールはジェイムズを伴い兵舎を訪う。
辿り着いた兵舎ではジェイムズがベアの部屋まで迷い無く導いてくれた。「ご一緒して正解だったでしょう?」と笑まれると確かにそうだと返すしか無かった。
「ベア、いるか」
戸を叩いて声をかけると、「ヴィクトール様⁉」と妙に高く外れた声が、扉一枚隔てた分くぐもって届く。次いで何かを蹴り上げた音と大きな足音。内側に勢いよく開かれた扉、その向こうに普段と変わらぬように見えるベアが立っていた。
「……どうやらすっかり治ったようだな」
「我が国の術師は腕が良いですからな!」
戦場での姿が目に焼き付いていたが、全く普段と変わらぬ様子のベアにヴィクトールはしぱしぱと瞬きをしてから彼の頭のてっぺんから爪先までを見回す。
ヴィクトールが見上げるほどの巨躯を持つベアは、ヴィクトールよりも三つ年上ではあったが歯を見せて笑う姿は少年のような幼さを写した。
そのベアは笑顔を絶やさぬまま、すい、とヴィクトールの背後に目をやり明るい声で続けた。
「おお、なんだジェイムズも来ていたのか。ヴィクトール様の護衛か?」
「そうだ。――ヴィクトール様、俺は外におります」
「ああ、ありがとうジェイムズ」
ベアに導かれヴィクトールが部屋に入ったあとは、ジェイムズが流れるようにすぐ扉をしめた。ヴィクトールを見送るように頭を下げた彼の顔は見えなかった。
「何故外に? 別に私はかまいませんよ」
振り返ったヴィクトールは笑顔を貼り付け、まだよく理解の追い付いていないベアに向き直る。
「父上にお前をよくよく労えと言われたのだ」
「へ、陛下が私のことを⁉ それはなんともったいないお言葉! 身に余る光栄です!」
「私もお前に助けられた。これからもその忠義を発揮してくれることを期待している」
「はい、それはもちろん! ……もちろんで、ございますが」
何かとても言いにくそうに、ベアはヴィクトールにちらちらと視線をやる。
「どうしたんだ、言ってくれ」
「は……それでは……その、恐れながら。お顔が。とてもそのようなことを言いたくない、と仰っています」
ぐ、とヴィクトールは唇を噛む。表情を作れていないことを誰よりも分かっていた。
「ベア」
「はい」
「私は今から、このバレンヌ帝国第一皇子としては言ってはいけないことを言うぞ」
「……私は何も覚えがないと未来で言うでしょう」
「すまなかった」
「ヴィクトール様⁉」
ベアはぎょっとして素っ頓狂な声を上げざるを得なかった。ヴィクトールが頭を下げたからだ。
皇子が一兵士に頭を下げるなど、たとえ私的な場所であれ褒められたことではない。いや、あってはならないことだ。一刻も早く頭を上げてもらわなければベアの心臓は持ちそうになく、しかしどう言えば不敬にならないかも分からずただ腕が宙をさまよう。
その間、ずっとヴィクトールは扉の前に立ったまま、ベアに頭を下げて、口が下を向いているからなのか、言葉が溢れ出た。
「お前が生きていて私は安心した。お前の命を軽く扱わないでくれ。私はお前に、ベアに生きていて欲しい。お前だけではなく皆にも生きて欲しい。私を庇うなどして欲しく無い、命の天秤が平等でないことはおかしい。だから本当はお前に礼を言うのではなく謝りたかった。あれは私の油断が招いたことだ。そのことがきっかけでベアの命を脅かしたことが私は……恐ろしかった」
「ヴィクトール様!」
一つ言い始めれば溜め込んだ言葉はするするとヴィクトールの舌を滑っていく。押しとどめたのはベアの叫びに似たヴィクトールを呼ぶ声と、地に額ずく姿。
「……そのようなお顔をさせてしまった事こそ私の至らなかった証拠、私の恥です。お許しください、ヴィクトール様。私はまだ、あなた様をしっかりとお守りする力が足りていない……!」
弾かれたように顔を上げるヴィクトールは叫ぶ。
「それは違う! お前に庇われるような隙を見せてしまったのは私の甘い考えが原因だ!」
昂ぶった気持ちがそうさせるのか、ヴィクトールは熱くなる目元を必死に瞬きを繰り返し誤魔化す。
「……すまない、これでは八つ当たりだ」
絞り出すようなヴィクトールの声に、ベアは床に膝をついたまま、上半身をのろのろと上げてゆったりと首を横に振った。
痛い沈黙が転がる。声を出すことが憚られ、舌が上手く回りそうに無い。
しかし意を決して、という風情でベアが強く息を吐き出すと、ヴィクトールをしっかと見上げ臣下の声で問う。
「……では何故、あの時躊躇したのかをお聞きしてもよろしいですか」
「……物凄く情けない話だぞ」
「勇敢な話かもしれません」
聞かねば分からぬ、と言われたようだった。少なくともヴィクトールはそう思ったが、口を開こうとすると言葉を忘れたようにうまく声が出ない。
「ではヴィクトール様。私の情けない話を聞いて頂けますか?」
「ベア?」
「私はゴブリンの子供を殺せませんでした」
唐突に始まったベアの〝情けない話〟にヴィクトールは息を呑む。静まった室内にそれはやけに響く。
「……まだ初陣を済ませたばかりの頃です。今日のような殲滅戦でした。ゴブリンの子供が巣の奥に隠されていましてね。私はそれを見つけた。けれど怯えた顔で私を見上げるゴブリンの子供に、一体どちらが悪いのか、私は分からなくなってしまいました。……怪物モンスターは我々を脅かします。そのために殲滅するのは我々の生活を守るためです。ですが怪物モンスターもまた同じように感じている部分もあるのだと、その時になって知ったんです。結局逃げ出した子供は私の背後にいた兵が仕留めましたがね……今はもう躊躇はしません。ああして残った者は恨みを抱いてより面倒な存在になりますからな。……分かってはいるのです。それでも」
言葉を切ったベアの言いたいことを、ヴィクトールは理解が出来た。
「……何故私にその話を?」
ヴィクトールが水を向けるとベアはとても困った顔をした。
「同じに見えました。畏れ多い事ですが」
「その時のベアと、今日の私が?」
「すみません! 調子にのり私の昔話にお付き合い頂いただけで無く大変に不敬な物言いを……」
ヴィクトールはそこでやっと口元を笑みに変えて首を横に振った。
「いいや……」
だが、なかなか言葉は繋がらない。それは自分の未熟さを真正面から認めること。それは勇気のいることだった。
それでも。今必要なものだ。
「ベアの言うとおりだ。同じだな」
「ヴィクトール様……」
「倒さねばならない。それは分かっている。だが私はあの時、考えてしまった。ゴブリンが怯えた顔をしたことに驚いてしまったんだ。……私が今まで斬ってきたものたちも等しく生きていたのだと。生き物だと。私は、命を殺していたことに初めて、気づいた」
「……ですがあやつらは怪物モンスター、生きていようとも、我々に害をなす悪しき存在です」
「そうだ。私たちが生きるために、怪物モンスターとは戦う事でしか向き合う事が出来ない。それに――」
ヴィクトールも肌で感じ取っている。怪物モンスターの侵攻は凄まじく、攻防は日夜繰り返されている。本来ならばこうして命を振り返るようなことをすべきではない。目の前に迫る脅威を払い、国を護っていかねばならぬことをこの国の第一皇子としてその身に決意を刻んでいる。
成人の儀の折、父から授かった剣を佩き、この国の未来を思った。
「――この国を護らねばならぬ」
声に出した言葉は単純な言葉。だが力強い。
「……ヴィクトール様」
「ああ」
「私にはまだ力が足りませぬ。あなた様をきちんとお守りする力が。ですがお約束します。これからもっと、もっと鍛錬を積み強固な盾となりましょう。いくら敵の攻撃を受けたとしても、決して倒れぬ戦士になりましょう。このベアは、この国の盾となりとうございます」
「この国の、盾」
「はい。私には持って生まれたこの巨躯がございます。あらゆるものを受け止めそして耐え、私の後ろに誰も通さぬ、守れる強き盾に」
「……そうか、誰かを守るために、戦うのだな」
ヴィクトールは己の手を見る。鍛錬を重ねただけ皮膚が厚くなった戦士の手。
そして目の前のベアはその手で盾を剣を持つ。
(私は? 私の手が持つものは)
幾度となく戦を共にした愛剣を携え敵を討つ手。ヴィクトールがすべきことはこの手にある。
強く両の瞳を瞑る。今はまだ父帝の肩にかかる国の未来、臣下たち、そして国中に暮らす民たち。いずれヴィクトールの背負うもの。
それは、ヴィクトールの守護する国そのもの。
「では私は」
ゆっくりと開かれる瞳、長く瞼を下ろしていたために室内の光が妙に眩しく瞬きを繰り返す。きらきらと光の粒が見えるようだった。
「私はこの国の剣となろう。未来を切り開くために剣を振るおう」
静かだった。だがよく通る声だった。
聞き惚れていたようなベアが、はっと正気に戻るようその巨躯を震えさせ、揺らし、勢いよく立ち上がる。
「ヴィクトール様! 誓いを立てさせて下さい!」
「誓い?」
「しばしお待ちを!」
満面の笑みを零れ落としたベアは扉を乱暴に開きどこかへと走って行った。
あまりに急な転換にただ見送るしか出来なかったヴィクトールは、扉の向こうで怪訝な表情をしたジェイムズがベアの走り去っていった方向を眺めているのを認める。
わざと意地の悪い笑みを浮かべて近づき肩を抱いた。
「聞いていただろう、我が親友どの」
「……友に格好悪い所は見せたく無かったのでは?」
「話したらすっきりした。……私に幻滅したか?」
「さて、何のことかわからない」
とぼけるジェイムズにヴィクトールはただの青年のように無邪気に笑う。
「私は我が友のそういうところが好きだぞ」
「からかっているのか」
「いいや、そんなことあるものか」
軽口をたたき合っていると廊下をにわかに騒がしくなり、大男の足音が近づいてくる。
「ヴィクトール様、お待たせしました!」
現れたベアはその手に馴染んだ大盾を携え戻ってきた。
「なんだベア、相棒を連れてきたのか」
「左様でございます! 我が盾とヴィクトール様の剣で、誓いを」
にっこり、という言葉がぴたりとはまる口元は白き歯を輝かせて笑みを象る。
「この国の守護の誓いです!」
「おお! いいなそれは! ……で、具体的にはどうするんだ?」
水を向けられたベアは先ほどまでの勢いが急に消え失せ気まずそうに視線を逸らす。
「……ええと、各々が護りたいものを宣言すれば誓いになりますか?」
その身が二回りは小さく見えた。
ジェイムズは額に手を当てわざとらしくため息をついてみせ、ヴィクトールの目が据わる。
「今決めたな?」
「……はい」
「だが良いと思う!」
「はい!」
ぱっと空気を軽やかにして、ヴィクトールはジェイムズの方を向く。
「ジェイムズもどうだ? 共に誓いを立てないか」
「悪くないですね。ご一緒しましょう」
もう答えを知っていた答えがもたらされれば男三人は早速顔を向き合わせたまま床に直に腰を落とす。そして各々の〝相棒〟が中心に向かい円形にぐるりと並ぶ。
「ではベア、お前から手本を見せてくれ」
「私からですか⁉」
「お前が言い出したのだから先陣を切るべきだろう」
口元をむずむずさせ恥じらう様子をベアは見せたが、すぐに一つ空咳をして大盾を手に真っ直ぐに前を見据える。その視界には守るべき主と、共に戦う同胞がいる。
「この盾で、ヴィクトール様を、このバレンヌを守る事を誓う」
硬質な低い声は部屋に静かに落ちていく。
「この剣で、ヴィクトール様を、このバレンヌを守る事を誓う」
間髪を入れず続いたジェイムズが己の剣を鞘に入れたまま両手で水平に掲げ持ち瞼を落とす。その姿は神への祈りにも似て、神聖な儀式のように見えた。
そしてヴィクトールは彼ら二人の誓いを受けて己の剣を手に取った。一つ一つを思い描きながらゆっくりと誓いを口にする。
「友を、仲間を、家族を、臣下を、民を、そしてこのバレンヌ帝国を護る事を誓う」
最後に鞘に収めたままの剣を抜き、刃を光らせ空に掲げた。
「この、剣で」
室内であったが、部屋の明かりを反射させ、その刃の輝きは眩しくベアとジェイムズの目に焼き付いた。
誓いを立てたそのあとは、瞬きみっつ分の静寂と、青年達の楽しげな笑い声が部屋を包む。
その場所には、確かに、輝かしい未来のバレンヌ帝国があった。

   †

もう数年前になる、懐かしい誓いの儀式を思い出したのは、弟の浮かぬ顔を認めたからかも分からぬ。
遅い初陣を飾った弟皇子のジェラールは、堅い表情で父帝レオンの言葉を受けている。
このような時代でなければ、自分が剣を、弟が本を持ちこの国を支える未来もあるだろうにと何度思ったことだろう。父の真の思惑がヴィクトールには分からなかった。
その後突然の来訪者により話を強制的に終わらせられた兄弟は父の前を辞した。
気丈に笑んで部屋へ下がろうとするジェラールに、ヴィクトールが声をかけたのは必然ともいえるだろう。
ヴィクトールの心の内には、ある種の懐かしさが伴う気持ちが生まれていた。
……過去、友と誓い合う前、戦場から帰りベアの前で顔を作りきれずにいた未熟だったヴィクトール自身と、今目の前のジェラールが重なる。
ベアもこのような気持ちになったのだろうか、と思えば口を開くのを躊躇うことすらしなかった。
「その手で命を奪う事の怖さを知ったか?」
天気の話をするように、するりと口から滑り出た言葉は弟の表情を崩すには十分だったらしい。雄弁に「なぜそれを?」と顔が語っていた。
その姿を、今のヴィクトールは優しいまなざしで見守ることができる歳になった。
どうするのが正解なのか、はヴィクトールにも分からない。ヴィクトールはジェラールではないからだ。
だが、話をして楽になる、飲み込めるようになることもあるというのを知っていた。
「どうだ、ジェラール。久しぶりに飲まないか」
明るさを前面に出して軽く肩を叩けば弟は眉尻を下げて困ったように笑っている。
「兄さんほど飲めないよ」
「何、戦勝祝いだ。少しは付き合ってくれないか」
「兄さんは戦に出てないじゃないか」
「弟のことを祝いたい兄心というやつだ。お前は果実水でもかまわんさ」
そうするとジェラールは少しむっとして「私も酒を頂きます」と彼にしては強く物申してきた。
分かりやすい態度にくっくと笑いを堪えられなかったヴィクトールはジェラールの頭をかき回すようにやや乱暴に撫で、わ、わ、とジェラールが慌てている姿に声を立てて笑う。
「よく無事で帰ったな。嬉しく思うぞ」
ヴィクトールの手で鳥の巣のように乱れた髪を手櫛で整えていたジェラールは、一拍置いた後にこくんと一つ頷く。まだわだかまる物があるのだろう、声は無かった。
再度思い返すのはまだ幼いとも言える時分の誓いの夜。
あの頃よりも堅く、大きくなったヴィクトールの手のひらは、あの頃よりも多くを護れているはずだ。
だがこの先の事を思えばいつ互いが命を落とし明日の朝の挨拶すら交わせなくなるかわからない。
ジェラールは亡き母に似て優しい性根の青年に育った。家臣の一部は武の才乏しいことを嘆くが、幼いころからその頭脳に蓄積された知識はこのバレンヌ帝国を支える礎となることをヴィクトールは信じて疑わない。
だからこそ、その才を遺憾なく発揮出来る場所で咲けば良いと考えているヴィクトールの気持ちとは裏腹に、父帝レオンはジェラールをも戦場へと連れ出した。言いたいことは分かったが、なぜ今になってという気持ちがあることも確かであった。
だが皇帝の決定は絶対で、未だ皇太子の身であるヴィクトールにはその決定を覆すだけの力は無い。
ならばせめて……剣の稽古も十分に見てやれていないヴィクトールが兄としてしてやれることは、惜しみなくこの優しい弟へしてやりたい。
その顔を曇らせる靄を払う手伝いをするのはヴィクトールにとって当然と言えた。ジェイムズには過保護だと言われたこともあるが。
その時のジェイムズの顔を思い出しながら、ヴィクトールは兄の顔でジェラールに笑む。
「この兄に、お前の話を聞かせてくれ、ジェラール」

   †

時は巡る。目まぐるしく。
一体いつから急加速したように事態が動き続けているのか、その始まりをヴィクトールは知らない。
しかし思い返せばこの宿命はあの女魔道士、オアイーブが現れてから顔を覗かせたことは確かだろう。
伝説の七英雄――この世を救うという彼ら――の内の一人を、まさか己の目で、正面から見据えることになるなどヴィクトールは夢にも思わなかった。
だが、時は、来た。
禍々しい存在はとても伝説の英雄になど見えぬ。その姿は怪物モンスターと同様、人に仇なす悪しき存在にしか思えなかった。
父も弟も居ぬ今、この城の護りを任されたヴィクトールは迷いなく剣を取る。命を狩る事にもう躊躇はない。
今も侵攻に怯える民たちの声が城下町に響いている。護らねばならぬ者達が助けを求めている。
ヴィクトールは青年のみぎり、友と誓いを交わした。
今こそ、その誓いを果たすべき時。
――この国を守護するつるぎとなりて。

じゅうぶんおとな。