アバロンのメイドたち

#ランドリーメイドとヘクター

賢い少女は新入りメイド

「おい、これ洗濯たのむ」
「えっ」
下洗いをするために洗濯ものを寄り分けていた新入りのランドリーメイドは突然後ろから話しかけられ驚いて肩をびくんと大きく縦に揺らした。
振り向くとそこには男の人が立っていて、目の前に飛び込んでくる逞しい身体に目を白黒させる。
少女の彼女から見ればその現れた大男は見上げるほど大きく、反射で顔の方向を向こうとすれば首が痛いほどだった。
「洗濯が済んでるやつあるか?」
押し付けられるように手に取らされた布の塊――この多さは敷布か、だけどもとても良い香りがする――をすでに持っていた洗濯ものと共に抱えながら視線で扉の外を示す。
「あの、ここは洗い場なので、お洗濯の終わっているものはこの扉を出て右に行って三つ目の扉の先にあります。そこがリネン室ですので」
「そうか」
大男はすぐに踵を返し少女に背を向ける。
が、部屋を出る、という時に振り返り、笑うでもなくこの城ではよくある下働きを見下す目でもなく。ごく普通の表情でこう言った。
「ああ、忘れてた。ありがとな」
ぽかん、と口をあけたままの少女は、男の歩く速度に合わせてなびく蒼と茶の髪、ふわりと風を孕んでふくらむ腰布を扉の向こうに見送った。
しばらくしてトタトタとややせわしなく足音が近付いてくる。
「やだ、ちょっと! 今のヘクターじゃない! あなた大丈夫だった?」
「へ? あの、はい。お洗濯ものをお持ち頂いただけで……」
やってきたのは少女に仕事を教えてくれているすぐ上の先輩たち三人だった。
少女が答えれば三人は三人とも目を丸くする。
「え? 嘘? 自分で持ってきたの?」
「よっぽど何かしたのかしら……」
「ええ? お酒をベッドにぶちまけてその後ずっと放置してた人でしょ? それ以上に何をしたっていうの」
「ああ知ってるそれ。メイド長がかんかんに怒って本人に言ったのに全然取り合わなかったって。私八つ当たりされたからよく覚えてるわよええ恨みをね……」
「どうどう。メイド長もある意味すごいわね……あたしあんな怖い男の人に文句なんて言いに行けないわよ」
「まあ別にヘクター様だけがそうってわけでもないけどね。傭兵の男たちなんてみんな似たようなものだし」
「……お金で雇われている傭兵風情に様をつけないといけないわけ?」
「だって今は傭兵隊長で皇帝陛下の覚えめでたい人よ? 下手なこといったら私たちの方がやめさせられちゃう」
「それで済めばいい方ね」
「あらジェラール陛下ならそんなことなさらないでしょう?」
「皇帝陛下がこんな下々のことまできちんと目を届けて下さればね。実際は無理無理」
「まあ、上の方々に従うことしかあたしたちには出来ないからね」
女三人寄れば姦しい。
先輩メイドたちのおしゃべりに気圧され新入りメイドは剛速球でやりとりされる言葉たちに目を回す。
「あ、もしかしてついに女の子でも連れ込んだ?」
「……それで汚れたから持ってきたってこと?」
「え! いやらしい!」
「でもそんなこと気にするの? お酒でベッド汚してもそのままの人が?」
「やめてそれ笑っちゃう。もしかして今日も来るから部屋を整えるっていうの?」
「ええ? それこそ信じられない。聞いた話ではそんなマメそうにはとても思えない人みたいだけど」
「お部屋に連れ込むくらいだもの、よっぽどなんじゃない?」
「そう? でも確かに、今まではお城の中ではそういうことを聞かないかも。上の階でメイドやってる友達がいるんだけどヘクター様に関しては聞かないわね」
「町で随分ひどい目にあったっていう女の子の話は聞くけど?」
「あ、わたしも聞いたことある! 男女の契りを交わしたのに次の朝にはぽい、でしょ?」
「女の子の方もそれは分かってたんじゃないの? そこまで考えなしじゃないって思いたいわ」
「でもね、話を聞いた子によるとその時すっごい優しくて本気なんじゃって思わされたとかなんとか……」
「ああもうバカ! ベッドの上だけでのことなんか本気にしちゃダメじゃない!」
「だけど逞しい男に迫られて優しく抱かれたらもしかして、って思っても分からなくもないかな……」
「やめてあんな野蛮な男!」
急に始まった男女関係の話は、幼い、という年齢に近い少女には顔を赤らめるには十分で。
まだつぼみもつぼみの乙女は詳しくは分からないがそれが何かいけないもののような気がして耳をふさぎたくなる。
「あ」
そして思い出してしまう。今手に抱えているくだんの男が押し付けてきた敷布から立ち上るかぐわしさ。
――あの、野性味のある男性からは想像のつかない華やかな芳香。
「こら! あんたたち! 何をやっているの!」
突然に轟いた怒声。
やば、と声を漏らしたのは先輩のうちの一人。
怒りをふんだんに染めた声を張り上げるのは髪をひっつめ鋭い目つきの噂のメイド長である。
威圧感のあるふとましい体格は、本日も少女たちに恐ろしさを届ける。この人に逆らってはここでは生きていけないのだ。
「まあまあ、お喋りだこと! その口が働いてたなら今頃全部片付いてるだろうにね!」
「すみませんメイド長」
「申し訳ありません」
「気を付けます」
「ご、ごめんなさい」
鉄則は、すぐに謝罪を口にして頭を下げることである。下げた頭の下でどんな表情をしているかは、とりあえずは、見えないので。
ふん、と鼻息荒くご機嫌のよろしくないメイド長はまた叫ぶ。
「はやく始めなさいよ!」
はい、メイド長、と四人分の少女の返事が感情様々の色を持って響く。各々が洗濯ものを持ち上げ持ち場へと進むと中断されていた仕事が再開された。
メイド長の姿が消えた途端、ぶつくさと愚痴を隠しもしないものもいれば無心に布を擦るものもいる。
新入りの少女も無言で汚れものを手にして水に浸し、大き目の汚れから退治しに行く。
その手には、今にもせっけんのにおいに消されてしまいそうな良い香り。
まだ胸がどきどきとしている。おさまれ、と祈りながら必死に手を動かし続けた。
この場所には、先輩の愚痴と、泡の立つ音、水の流れる音、布を擦る音がたくさん響く。
自分の仕事をする手を見つめながら、少女の意識は深く自分の内側へ降りていった。
そうして少女は思うのだ。
「……でも、お礼言ってくれたし」
下働きを始めてまだ少ない経験とはいえ、それに勝る嫌な思いをしてきた。外で働くことの洗礼を受けたとも言えるが幼い少女にはきつくこたえるものが多かった。
幸い姉のように慕える先輩がいたことで救われることもあったが、この城で働く大多数の男たちには取るに足らない仕事をする小間使いを丁寧に扱う人間はとても少ない。
そんな彼女に礼を言う人間は、数えられる程度しかいなかった。
彼女は賢い少女だった。また義に厚い面もある。
自分で見て、感じたことを優先することにした。
「ヘクターさま、か」
くだんの傭兵隊長どのは、たぶん、ちゃんと優しい。

じゅうぶんおとな。