うたかたのひと

夜半、ヘクターは気配を察知しはっと目を覚ました。
二人を包む掛布を蹴り上げ枕の下に忍ばせたナイフに手をやり隣で寝ているジェラールの頭を抱えようとして……不覚にも手が止まる。
そこには女がいた。
愛おしそうに、ジェラールの頭を撫でる女が。
するとヘクターの視線に気づいたのか、女は顔を上げた。
「っテメー!」
視線が合った刹那、我に返ったヘクターはジェラールが眠っていても構わずに声を荒げナイフを突き立てるため手を伸ばす。
――だが、彼女の身体をヘクターの手は突き抜けた。
「な、」
目を見開き手にしたナイフを見つめていると、女は眉尻を下げて笑み、一歩下がった場所に漂っている。
その時やっと女の容姿をヘクターは認めた。
ふわふわとただよう金の髪に暗い室内でも輝いている翠の瞳。面差しは優しく、ひどく誰かに似ている。そしてこの世のものでは無いことを証明するかのように、儚い燐光をまとっていた。
まさか霊体系のモンスターが忍び込んできたのかと警戒を強めるが、女はただそこに佇むだけで何もしてこない。
ヘクターが女を警戒し視線を外さないように注視している間中、うろうろと左右に揺れてはこちらに手を伸ばし、ヘクターが近寄らせなければそれ以上近寄ってすら来なかった。
ヘクターの中で警戒とはまた別の、疑問が頭をもたげ始めた時。
「ん……」
わずかな衣擦れとこぼれた寝息。それはヘクターが背に守るジェラールがこぼしたもの。
すると女が途端におろおろとし始め、そして何かにはっとして、分かりやすく意を決した顔をする。
ヘクターはナイフを下ろしていなかった。
だが、そのヘクター目掛けて女は飛び込んできた。
そこで戸惑うヘクターではない。
「オレとやり合おうってのか!」
身体がすり抜けることは分かっている。だがだからといって後ろに通すことをヘクターがさせるはずがない。
けれども。
「……かあさま」
その声が響いた時、女は花開くよう笑いヘクターをすり抜ける。
ヘクターが振り向いた先で、女はいまだ眠るジェラールの肩を撫で髪を撫で、最後に目を閉じ頬擦りをして。
泡のようにその輪郭を空中に溶かしていく。
まるでお伽話の光景だった。
ヘクターは何も出来ぬまま、瞬きの間に消えていく女を見ていた。
ほんの数秒のこと。
けれども、それでも。
ヘクターにも分かった。
元来非現実的なものを一切認めないヘクターでも、その光景を見てしまえば素直に信じてしまう程に、似ているのだ。
ごくごく近い距離で見たその女は、ジェラールによく似た面差しをしていて……いいや。逆だ。女に似ているのだ。ジェラールが。
泡の粒が宵闇に溶けるのと、眠るジェラールの瞼が上がるのはほとんど同時だった。
「……あ、れ……?」
瞬きを繰り返すジェラールが、寝起きの舌足らずの声を上げる。
「へくたー?」
「はい」
呼ばれた声にヘクターはすぐに返す。
「ねえ、変なことを聞いていい?」
「なんです」
「……誰か来ていた?」
ヘクターは言葉に詰まった。
今まで見ていた光景を、説明する術をヘクターは持っていなかった。
ヘクターの沈黙をどう思ったのか、ジェラールはすぐに「いや」と自ら否定する。
「夢を見ていて」
横になったまま、ジェラールはその夢を思い出しているのかまた瞼を閉じている。
「……すこしだけ、懐かしくて」
「来てましたよ」
らしくないことをヘクターは分かっていた。だがそのまま伝えた方が良いのだと、なんとなく思った。
「え」
「金髪に翠の目をした女が、さっきまで」
ヘクターの言葉を聞いたジェラールは、ぱちりと大きく瞳を開いて勢いよく身体を起こした。
「……っそう、か」
「ええ、アンタの頭を撫でて、肩を撫でて、最後にガキ相手にするみてーに頬擦りして」
ヘクターの言葉を聞いて、彼女の手をなぞるようにジェラールは自分の手で頭を、肩を触り、頬を撫でた。
「……そうか……そうなんだね」
女の手の軌跡を表情の浮かばぬ顔で辿ったジェラールは、やっと実感が追いついて来たかのように、頬を撫で終えてからふんわりと笑った。
その笑顔には見覚えがあった。
ほんのついさっき、ヘクターが見た笑顔と、ひどく似ていた。

すう、とふたりきりの部屋の中を風が通り抜けていく。
ジェラールと、そしてヘクターのつむじを、優しい風が撫でていった。

あとがき

母の日にかこつけて投稿したもの。

去年のお盆の時期に「ジェラール様のお母様はいらっしゃるのかしら」とふと考えたことがあり、現世にくることがあったなら、きっと頭を撫でにくるに違いないよなと思っていて。

しかし去年のお盆の時期はヘクジェラ長編原稿真っ盛りだったので書けず終いだったのでした。

先週ふっと思い出し、書きだしてみたら書けたので、さくっと短く形にしちゃおう!となり無事に日の目を見れました。

改めて書いてみて、ジェラール様はお母様似、という強固な幻覚があって。
別に原作にあった訳ではないのに、それが当たり前みたいな気持ちがめちゃくちゃ……ある!

あと、最初はもっと警戒心無いヘクターだったんですけど「いやこの男ヘクターやぞ」と思ってなんとかならんもんか、と捏ねた結果がこれです。
ジェラール様に触れようとする得体の知れないものは全て敵認定してまず排除かなと思うので。

これまであんまり、お母様のことを考えることはありませんでした。
このお話くらいしか。

でもなんかただただレオンと妃が仲睦まじくしているところを眺めるだけのお話とかなんぼでも見たいですね。はい。
初めて会ったときとか、結婚まで辿り着いたときどうだったのかとか、政略から始まって愛を育んだのか、子どもが出来た時どうだったのかとか、色々。
二人きりになったら甘えてくるレオンに「仕方のないひとね」って言ってたのかな。とか。

一人目が無事に生まれて、二人目も出来て、二人とも皇子で、世継ぎを望まれることを考えれば及第点ではあったろうけど、二人目のあとに産後の肥立ちがよくなくて、体調を崩す事が増えて、きっと今までとは違ってきて、でもその異変にはどこか鈍感で、取り戻せなくなってから気付いて、そして失くして。
子どもを、彼女の前ではただの男だったレオンを残していくことがとにかく無念でならなかっただろうなあ、と思うのです。

たったの一握りも出てこない彼女が、けれども彼女がいなかったならばヴィクトールも、ジェラールも、いなかったので。
確かに存在したはずの彼女が、どこかで息をしている。
いつか何かを書いてみたいと思うし、でももうこれを書いたからそれで良いのかもしれないと思うし。
何かの不思議な夜に、彼女が息子とふれあえるときが、何か、あったなら、それだけでいいのではないかな。とか。
いつか、母と、父と、兄と、出会うジェラールが描けたらそれで。

でもなんかこう、あれですね。
レオンと妃のお話、ちょっと読みたいな。
でも書くとするならラブコメがいいです。
妃に「レオンのばか!もう知らない!」って言われてめちゃくちゃショック受けるレオン様とかをみたいです。
皇帝陛下は妻の前では形無しなのね、っていうやつ。
ファンタジーだもの、夢を見たって許されますわよ。

ちょっと語っちゃった。
以上です。

……って思ったんですが追記。

ヘクジェラの民のみなさまが綺麗に突っ込んで下さったので笑

ヘクジェラは致す夜も致さない夜もあって、でも一緒に眠る関係ではあります。
毎日ではなくとも、不定期で帝国の戦獅子は皇帝の寝室に潜り込んで来ます。
皇帝が招く夜もあるし、勝手に気まぐれに潜り込むこともあります。きっと。

じゅうぶんおとな。