君には敵わない

【概要】
ぽんすけさんが私が書いた台詞群をもとに描いて下さった漫画( https://poipiku.com/2725584/7741272.html )をさらに踏襲して自解釈を盛り込み小説に焼き直したもの


朝が来てしまう前に夢を夢だと理解したかった。
飛び起きたベッドの上で子供のように誰かの体温を探したけれど見つかるわけもなく。ほとんど衝動で寝所を抜け出した。
扉の前にいる兵には供はいらぬと告げ顔も見ずに足を速めていく。
一人で居たのに一人になりたかった。
さまようように進んでいって目に入った扉を開けて、ここでも兵士たちに見張りはいらぬと告げた。うろたえていることに申し訳なさを感じながらも人払いを頼むと彼らは城内へ収まり扉が閉まる。それを確認して振り返ると、空はすでに白み、地平線は赤く染まり始めていた。
ジェラールは何を考えるでもなくただ、それを眺めていた。口の端からは薄く細く吐き出された息が空気をほんの少し白に染める。何も羽織らず寝間着のまま屋外へ出てしまったことを今になって後悔していた。だからといって戻る気にもなれず、そのままバルコニーを歩み欄干に手を置くと眼前に広がる城下町を見下ろした。ぐっと指先に力が入る。そこには、ジェラールが守りたい、守るべき民が町が生活が、朝を迎えようとしていた。
(大丈夫、だ。夢は、夢でしか、ない)
風がジェラールの髪をすくい上げ踊らせる。それと同時にまた肌寒さを思い出した。朝はどうにも冷える。
と、背後で扉の開く音がする。だがジェラールは振り向かなかった。
(――職務に誠実な良い兵士たちだ)
自然とジェラールは口元に笑みを刻む。
自分たちではどうにも出来ぬと思ったのだろう、適任を連れてきたらしい。
気配も足音もわざと消されていない。ジェラールがどこにも行かぬ、行けぬと分かっているのか、どうなのか。驚かせようとはしていないからだろうが。
「そんな格好じゃ風邪ひきますよ」
ふわり、と知った体温がジェラールを引き寄せ彼のマントで覆われた。一気に肌寒さを忘れさせてくれる。
想像通りの存在が、ジェラールを夢から現実へ引き戻してくれた。
「そうか? でもヘクターが来てくれたから平気だな」
「……俺は毛布じゃないですよ」
妙に不服そうな声がしてなんだかおかしくて笑ってしまう。正直な心を言葉にしただけだというのに、伝わっていないのだろうか。
「当たり前だろう。ヘクターはヘクターなんだから」
そう、ヘクターはヘクターだ。
ジェラールにとってそれは何ものにも代えがたい。
彼は傭兵だ。金で雇った卑しいものと蔑む者が居る中でも「言いたい奴には言わせておけばいいんです。鬱陶しくなれば自分で殴り飛ばすだけですから」と言い、ジェラールをジェラールとして見て、実直な戦士としての精神をもって仕えてくれる存在だ。それだけではない、ということもそっとジェラールは心の奥の奥で添えて。背中から降りてくる困惑交じりの声に苦笑した。
「……まあ、それは、そうですが」
「分かっていないな? ヘクターでなければこんなことを許すはずがないだろう?」
もう笑顔を浮かべられるようになった顔で後ろを振り向きながら告げる。
「それは……また……はー……アンタは……」
「ふふ、私の勝ちだな」
思わぬところで勝ちを拾い、ジェラールは上機嫌だった。
この男は二人きりの時はどうにも隙を見せてはくれない。たまにこうして振り回せたとすればジェラールの機嫌は上向くばかりだ。
「一度だってあなたに勝てたことは無いですよ、ジェラール様」
だがまたしても背中から降りてくる声は苦々しげだった。反射的に声を上げる。
「それはおかしい! いつも君に負けてるだろう! 手合わせではいつでも君に転がされているし、それに……!」
はっとして言葉を切る。だがあからさますぎるそれに追撃がないわけもなく。
「それに? ……ジェラール様?」
ただ単純に続きを促そうとしている声音。だがそのまま続きを言葉にするにはあまりにも子供じみている気がして、そもそも告げる気もなかったものだから強引に切り上げる。
「いや、いい、とにかく今日は私の勝ちだ」
話はここで終わり、としたかったのに。
「では戦勝のお言葉を賜りたいですね」
するりと出てきたヘクターの言葉にむうと眉間に皺を寄せる。
「どうしてそう意地悪なことを言うんだ」
「別に意地悪は言っていないんじゃないですかね。それとも何か言いたくないことでも?」
言葉遊びの延長のようなやりとり。ヘクターはきっと、ジェラールが何を言いたいのかなど欠片も分かっていないに違いない。いつもそうだった。彼は確かに普段〝皇帝〟の忠実なる臣下でその枠を出ることなく仕えてくれる。だがその枠を外れるのは二人きりで居る時。ほんの少し心の内側へ招いてくれている時に、ヘクターはジェラールを年下の人間として扱ってくれる。それが嬉しくもあり……悔しい。
言ってしまってもいいのか躊躇した。
だがどうにもこの朝は悔しさが勝った。
「……………………君に、こうして抱き締められると、いつもおかしくなる」
じわり、じわり、と。肌が体温を伝えてくることの喜びを、高揚を、甘さを、果たして彼も同じように思ってくれているのか、妙に不安になるときがある。
何もかもを投げ出してただこの温かな腕の中で、優しい温度の中でずっといたいと願ってしまう時がある。
決して叶わない願い。
そしてジェラール自身も叶えるつもりはない願い。
けれど、けれど。
失くしたくない温度が、この腕の中だった。
「!」
ジェラールは思考に引っ張られて、ヘクターが息を呑んだことに気付かない。
「それなのに君は何も変わらない。私だけがこんな風に戸惑ってばかりで……おもしろく、ない……わっ」
「そんなわけ、ないでしょうが」
急に外された腕に戸惑う暇もなく、向き合わされて再度抱きしめられる。目が回るままにやり場をなくした手が宙をさまよう。
「へ、ヘク……」
「聞こえますか、あんたを抱きしめてるだけで俺の身体は大忙しになるんです」
押しつけられた固い胸元。軽鎧を装備していない戦場とは違う装いはジェラールの耳に響く命の鼓動をしっかりと捉える。確実に早いと言える鼓動を聞く度に自分の高鳴っている鼓動と共鳴していくように錯覚し、かあ、と頬に熱が集まるのが分かってしまった。
「そんなこと二度と言わないでくださいね……わかりましたか」
普段より一段低いヘクターの声は、掠れて妙に腰がそわりとしてしまうような声で。
「わ、わかっ、た……」
「――なら、いいです」
ふ、とヘクターが笑った吐息が耳にかかった。
ああ、全く。
いつになればこの男に勝てるのだろう。

じゅうぶんおとな。