【概要】
助太郎さんの「遺された肖像」( https://twitter.com/suketarosudayo/status/1621439611825434624?s=20 )を見たら歴史が流れ込んできて書いてしまったほぼ全編モブ視点連作
バレンヌ帝国 帝都アバロンにて
宮廷画家
木炭を握る指に力がこもる。
眼差しは真っ直ぐに、黄金の皇帝へと注がれる。
画家の手は止まることなく描き続ける。
多忙な御身、必要とはいえ時間を多く取ることは叶わずごくごく限られた中でその姿を写し取り形にせねばならない。
板に木炭が滑る音が軽快に響く。
周りには皇帝と画家の他にも護衛や侍従、メイドに画家の助手を務める限られた弟子たち……と、人の数は多かったが、一様に口をつぐんでいた。
まるで神聖な儀式を見守るかのように。
画家はこの空気が嫌いでは無かった。
どう足掻いてもすべてを描き出すことは出来ないことに悔しくもなるが、その御姿を出来うる限りの力で描きとめることを諦めたくは無かった。
宮廷画家という誉れを賜ってからもう十年になるか。
幾度も描く機会を得てその都度に満足の行く仕上がりにしてきたものの、時が経てば過去の己の手の拙さにより精進せねばと身を震わせる。
私は歴史に残る偉大なる仕事をしている自負があるのだ。
きっとこの後、数十年、数百年ののちにこのお方のすばらしさを伝えるためのひとつになると、私は信じて疑わぬ。
皇室、貴族の娯楽、戯れと言うものもいると聞くが、なんとも哀れなものである。
私の絵は、私の生きている間には限られた層にしか評価はされぬであろう。それでよい。
だが、遠くこの先でこのお方のことを伝える術として残せることに、私は自分の手が描きとる力を持ちえたことを誇りに思っているのだ。
手は絶えず動き続ける。目を細めるほどの小さな差でもより良いものへとするために妥協はしない。
ああ、しかし、なんと立派なお姿か。
――まだお小さかった頃、兄君の後ろで恥じらっていた姿を、私は覚えている。
やっと師匠の後ろでご家族の肖像を描く機会を見学する許しを得た若造の時代、まるで天の使いと見紛う姿に釘付けになった。
その日の夜夢中でスケッチをした。瞳に焼き付いたお姿を描きとめることに夢中になり、気づけば朝日に目を焼かれることとなった。
その、お方を。
今の私は描きとる幸運を手にしたのだ。
かの方の成長を共に辿るように、と言えばなんとも無礼千万な話だが、皇帝陛下が……ジェラール様がまだ皇子であった時分から、そのお姿を描きとる幸運と誉を。
手は変わらず止まることなくスケッチを続けている。
止めることなど出来ない。
いや止めなくて良い。
ああ、なんと眩しい。その後ろに、私は輝かしい星がいつでも見えるのだ。
夜空にちりばめられた幾千幾万の星々ではなく、一等輝くひとつ星。
我らが皇帝陛下、ジェラール様。
眩しすぎて目を細める。
私はこのお方を、この皇帝ジェラール陛下を、一人でも多くの人に知ってほしいのだ。
私の強欲はそのまま筆に乗って、いつしか未来へ届くとそう信じている。
「――陛下、どうぞお楽になさってください。本日は誠に良き機会を賜り恐悦至極にございます。本日のものを元に絵を仕上げて参ります」
それまで一心不乱に手を動かしていた宮廷画家はぴたりと手を止め道具類を下ろし助手たちに預けると頭を垂れた。それはこの作業の終わりを示していた。
彼の言葉にジェラールは張っていた胸を戻し剣を支えていた両手を解いた。
「ああ、ありがとう。いつも出来上がりが楽しみだよ。普段の私より二割増しは男前だ」
「身に余るお言葉、この老体に染み入ります……しかしながら、私めは見たままを描きとっているだけでございますれば」
「……そう、か?」
「もちろんでございます」
間髪を入れず真っ直ぐに返された宮廷画家の言葉に皇帝は不思議そうに首を傾げた。
だが彼の取り入ることも驕ることもないただ皇帝を見上げる姿に、侍従に剣を預けながら鷹揚に笑んだ。
「そうか、ならば、良い」
画家は多く語らず目を細めて笑んでから、皇帝へと先ほどよりも深く頭を垂れた。