年上の男

___してと云ったなら、きみはどんな目で私を見るのだろう。

年上の男

男が出すには高い嬌声と、解放を物語る獣じみた低い唸りが続けて響く。
正面から重なり合った肌、互い違いに握られた指に力を込めて一瞬、息を止めたのは二人同時だった。
薄暗い室内、すぐに短く荒い呼気が口から幾つも溢れていく。先ほどまでの情交を物語る気怠く湿度を持った空気が更に充満していくようだ。
汗で濡れた肌が触れ合うと気持ちが良いものではないというのに、未だ冷めやらぬ熱が誤認させてくるのか、ジェラールはそれが嫌いではなかった。
だがその余韻も束の間、すぐに離れて行ってしまってジェラールの胸に物寂しさのようなものがやってくる。
自然と伸びた手がヘクターの逞しい二の腕を掴む。
ふ、と僅かに笑う声がして、子をあやす様な手つきで前髪を骨張った手指でかき混ぜられた。
不満を持って口を開こうとしたしたが叶わずに終わる。
「あっ」
油断したその隙に覆いかぶさっていたヘクターがジェラールに埋まったものを緩く前後させ一息に抜き去って、受け入れていた場所がぱくぱくとあさましく主張した。
名残惜しさを語るような声が口から零れ落ちてジェラールは急激に襲ってきた羞恥に身じろぎ顔を敷布に埋める様に反らした。
それによって露わになった首筋にはこれまでの激しい交わりを示す汗がまだ肌を伝っている。
結ばれてからの年月はそれなり。こうして肌を合わせるようになったのももう両の手以上。だとしても、まだ、ジェラールは床での所作に慣れることは出来ていなかった。
「――ジェラール様、大丈夫ですか?」
「ん……」
あやされるように降る口づけがジェラールの頬を目尻を耳を幾度も掠め、耳朶を食まれてまた意図しない高い声を出してしまう。
ちら、と隠していた瞳を片方だけ出してヘクターを見上げると、何物にもさえぎられていない男の顔が、普段ではあり得ない距離で瞳を溶かして見下ろしていた。
また耳に落とされた唇と湿った吐息に背骨を沿うように甘い甘い痺れが昇ってくる。
「痛みは?」
「……ないよ」
「良かったです」
まだ平時には戻りきっていない色を含んだ掠れた声が嫌でも情事の最中を思い出させていけない。
人に言えないさまになっている下半身を、熱を高めるためでなく清めるために触れられながら、情を交わした相手は泰然として後処理をしている。
上がりそうになる艶めいた声を喉に押し込めて、枕を引き寄せ顔を隠した。
その間にもヘクターは粛々と後処理を進める。その姿は慣れていて、されるがままになっているのが落ち着かない。
そう、彼は床の所作に慣れている。
以前を口にするのは礼儀に反しているが、それでも気持ちはどうにもならない。
それを言うのも憚られた。
素直に彼の過去に嫉妬しているとは言えずにいた。
寝台からやや離れた場所に佇む小型机に用意してあった水を張った盥と手巾を手に戻ってくるヘクターをずらした枕の端から、ぼう、と見上げる。
それらを用意している時は、あまりの周到さに逆に恥ずかしくなる。必要であるしこうして便利ではあるが、まだ始まってもいない〝こと〟の準備をしていると、はしたなく感じてしまうのを止められない。
求めていることは確かなのに、生々しく感じ取ってしまうから駄目だった。
視界にない場所で手巾を盥から引き上げ絞り水が落ちる音が耳に届く。次いで近づいてきた気配が囁いた。
「少し冷たいですよ」
「ん、」
顔から首、胸へと下がっていく手巾がジェラールの汗や言いづらいもので汚れた肌を清めていく。
最中とは違って色の含まない手つきに今夜の終わりを悟る。
横になったまま拭き清められた肌の上。そこが終われば次もあると、もうジェラールは知っている。
膝立ちになったヘクターに、同じように膝立ちになり顔を見れずに勢いよく彼の首へ腕を回す。
「もう少し俺の方寄ってもらえます?」
「う、ん」
ずるずると膝を這わせて近づくと、腰に添わされたヘクターの剣だこのある手が身体の稜線を辿り繋がっていた場所へ難なくたどり着く。
完全に熱の覚めた今、必要だからとはいえまた中に彼の指が侵入してくることに居心地の悪い何かが腹の底へそわりと居座る。
その何かを抱えたままいつもの通り入り込んだ指は精を掻き出していく。
だが今日は運が悪くヘクターの指先が何度も掠めてしまう場所が〝いい〟のが良くない。
これまでの時は何とか声を押し殺していたというのに、数回であれば無視出来たが重なっていくにつれ耐えることが難しくなる。
敷き布に落ちていく少し重たい液体が全て外へと導かれる頃には、はしたなく前から涎を垂らしてしまっていた。
震える肩をそのままに、ヘクターの首に鼻先を埋めごめん、と何度も囁いてしまう。返事のように髪にぬくもりが寄ってくる。
「なんで謝ってるんですか」
「……だって、そういう、のじゃ、無かったのに……」
体内で燻ぶってしまった欲に悩まし気な息を吐いて少しでも収まらないかと指先に力を込める。
「そのままじゃ辛いでしょう」
「え、ひゃ、ぁ!」
躊躇なく伸びてきた男の手がジェラールの中心を柔く包む。大袈裟なほど肩を揺らしてその手を止めようとするが遅い。
「ヘクター、待て、い、良い! しなくて良いから! こら、良いと言って——ぅあっ!」
静止する声は聞き入れられず、性急な手の動きにあさましい体は喜んで芯を硬くしヘクターの手で高められていく。
最初は止めようとしていたというのに確実に弱いところを握られては抵抗も意味を成さなくなっていき……今はもう目の前の男に縋り付いて甘えた声で鳴くしか出来ていない。
いつもそうだ、この年上の男の手で翻弄されるばかり。胎内に受け入れる時は満たされるのに、結局は彼の手によって乱されるのはジェラールばかりでそこが少し、納得できない。
この男がもっと、乱れる様を見たいと思うのはいけないことだろうか。
「考え事ですか?」
「——ッあ!」
ひと息に快楽の渦に引き戻されて、ジェラールの頭の中は達することだけに塗り潰される。聞かせたくないような声ばかりが勝手に口から溢れて体温が上がっていった。
室内にまた茹だるような熱が充満していき、羞恥は吹き飛んでいく。
「へくたー、ぁ」
「ジェラール様」
「っへく、」
「っ! イイですよ、ジェラール様、そのまま」
こくこく、と頷いてヘクターの頸に顔を埋める。くぐもった呼吸と隠せない嬌声。勢いを持って吐き出された物がヘクターの手を汚していたが、ジェラールはがくがくとひとりでに震え自由の利かなくなった全身を持て余していてそれに気付かなかった。
一人でするよりも随分と早く頂へと至ったジェラールは、力の入らない体をそのままヘクターに預けて肩で息をしている。
「良かったですか?」
呼吸の落ち着いた頃、顔にかかる前髪を手櫛で梳かされながら頭上から落ちてきたのは多分に余裕を含んだ声。
やっと体の制御が自由に効くようになって、力の抜けていた四肢に力を込めて、膝立ちの状態に戻るとむすりとした顔でヘクターを見る。
声の通りに彼はにやりと口角を上げて、満足そうに目を細めジェラールの視線に真正面から向かっていた。
「聞くまでも無かったですね」
すい、と引き寄せられて頬に彼の唇が押しつけられる。似つかわしくない可愛らしい口付ける音が妙に耳に残る。
されるがままで、ジェラールの気分は急降下し落ちるところまで落ちている。
図星だったし全て手のひらの上で転がされているようで面白くない。
けれど落ちてくる口付けは甘く心地よく、逆立った感情を凪へと連れていく。流されるばかりで面白くないというのにまたこの年上の男はジェラールを甘やかす。
(——もっと、私の方こそ、ヘクターを)
今度こその夜の終わりに降り続ける唇の雨は甘く優しい。
応えるために彼に身を寄せ……今ジェラールを支えている男の変化に気づいて慌ててヘクターを見上げた。
「ジェラール様?」
「あ、いや、その」
頬を赤らめながらジェラールが視線で示した先。男の象徴が主張していた。
視線に気づいたヘクターは変わらずに笑っていた。
「まあそりゃあね……特等席で、あんたのそんな顔見てればこうもなります」
これ以上は無いと思っていたのに更に頬に熱が集まるのが分かって、視線を引き剝がす。その間にヘクターが離れていくのを感じ取って反射で手を伸ばす。戸惑いは一瞬。
「……ねえ、ヘクター」
そのままでも静まりはするがそのままにしなくても相手がここにいる。そもそもがもう終わったはずの夜を引き延ばしたのはジェラールだ。
どんな目を自分がしているのかなどジェラールには分からない。だが一つ確かなことは、ヘクターの喉が鳴り、離れた体温がまた近づいたこと。
「っだめですよ」
はっとした動作をしてヘクターはジェラールを引き剥がす。近づいたはずの距離が離されてジェラールは目を丸くした。
「だが」
「明日があるんです。これでも俺、十分にあんたに甘えさせてもらいました」
「さっきの……私は、してもらったのに」
「これ以上は明日に障ります。良いんですか? 明日使い物にならなくなったら俺が大臣に怒られますけど」
甘やかな夜に氷のカーテンが落ちたようにこれまでのことも夢だったように儚く消えていく。
それを言われると弱かった。
まだ自分が、とても小さな子どものままのようで居心地が悪くなる。
(——私は。愛しいたったの一人すら、満足に満たすことも出来ないのだろうか)
夢のように消えていった甘い夜の残滓。今度こそ何もなく身を清めるのを終えると眠るのにふさわしくなった床へと導かれる。横たえる動作は夜の始まりと同じなのに、あの時のような高揚も、熱も、甘さも無い。これでは本当に子どもだ。
「じゃ、おやすみなさい、ジェラール様。あんたが眠るまで、俺はここに居ますから」
じゃあ私が寝なければきみはいつまでもここにいる?
言えるはずのない言葉ばかりが浮かんでは消えていく。自嘲し大人しく掛布を引き寄せる。
明日があるのはジェラールだけではない。ヘクターとて明日があるのだ。それを思うなら彼を早く休ませてやりたいという気持ちもまた、ジェラールの本心であった。
「……おやすみ、ヘクター」
目が覚めたら、きみはいないんだよね。
困らせるから声に出せない言葉を心の内でだけ呟いて目を閉じる。
前髪を押さえられ露わになった額に小さな口付けが落ちてくる。
寝かしつけをされるなんて、やはり子どものようで、嫌だった。

じゅうぶんおとな。