【ひとくち話】皇帝だけは知っている

※次代皇帝(誰かは分からなくしています)とヘクターの話。
※ジェラール様が次代に継承をしたあとの時間軸。数多あるifのうちのひとつとして読んでください。
※でもヘクジェラだと思って書いています。

大丈夫そうでしたらどうぞ。
最終的にあまり「ひとくち」とは言えない長さになってしまった……

皇帝だけは知っている

「なあ、いい加減にしてくれよ」
帝都アバロンの城内。ごくごく近しいものしか入ることが許されない皇帝の執務室にて、臣下としては許されない態度でヘクターはわざと大きな音を立てて執務机を叩いた。ため息の出るほど美しく磨き上げられた飴色の見事な執務机で書類と向き合っていた皇帝は走らせていたペンを止め、自分に直談判に訪れた傭兵を見上げた。
「何がだい?」
「とぼけんじゃねえよ。オメーがいちいちオレに突っかかってくることについてだよ。……なんでオレに付き纏うような真似をする」
ヘクターがこのバレンヌ帝国に傭兵としてまだ腰を落ち着けているのは、彼には彼なりの流儀があるからだが、それにしたって最近の状況はヘクターにとって居心地が悪かった。
それというのも、ジェラールの後を託され継承された新しい皇帝陛下に膝を折ったその日から、ヘクターを見れば犬のようにこの次代皇帝はヘクターにまとわりつく。初日から遠慮というものが無い。数ヶ月も良く持ったものだ、と周囲は考えて居たが、ヘクター自身は考えを改めやはり国を出ようかとまで考えていた。
以前の彼であれば、そもそも皇帝が変わった時点で離れていただろう。
だがヘクターはまだこの国にいる。
ヘクターに脅しをかけられるような剣幕で詰め寄られた皇帝は、しかしどこ吹く風と軽やかに笑った。
「私だってしたくてしているんじゃあないんだよ。理由がある。だけど……それは、言えない」
「……ンでだよ」
「そうだな、あえて言うならば、〝皇帝〟だから、だな」
つかみ所のない態度のまま返答され、ヘクターは遠慮なく舌打ちする。
「それで納得するとでも思ってンのか?」
「いいや? だけどねえ……」
ここに来て皇帝の顔がわかりやすく曇る。
ちらちらとヘクターを見ては視線を外し、考え事にふけるように天井を見る。
「……ほんとうに言っても良いのかい?」
「このままの方が居心地悪ィつってんだよ」
「じゃあ言うが。……とは言ってもね。本当にしたくてしているんじゃないんだ。だから噂で流れている『皇帝は傭兵隊長ヘクターに懸想している』というのは間違った話だ。これは今否定しておこう」
「違うのか」
「……もしかして、君もそれを信じていた?」
「可能性の一つとしてはあったかもしれねーな」
皇帝は楽しげに笑って「ないない」と皇帝では無かった時によくしていた笑い方をした。
だが次にヘクターを見た眼差しは、ヘクターの心臓を妙な速度で揺らす目だった。
「陛下?」
「ああ、ほんとうに言っても良いのかなあ。やっぱり君にだけは言わない方がいい気がしてきた」
おかしな言い回しにヘクターは片眉を上げる。
「ここまで来て『やっぱり答えない』なんてことを仰るとは随分と人がお悪ぅごぜーますね」
茶番じみた言葉遣いで目の前の皇帝の胸元に人差し指を突き立て軽く何度も突き刺す。
「まだ答えないなんて言っていないだろう、ヘクター」
からからと笑う姿が過去と重なる。ヘクターはつい目を細めて懐かしさのある皇帝の姿に言葉を繋げる事が出来なくなった。

――『きみは本当に私を皇帝として扱わないな』

樺色の豊かな髪、深い森の色をした瞳。大切に育てられた皇子らしく柔和な笑顔をよく浮かべていた人で……しかし勇敢に戦い散っていった先代皇帝、ジェラール。ヘクターが最後の主と決めていた者はヘクターよりも先に行ってしまった。
それがヘクターがこのアバロンを離れられない理由でもあった。
ジェラールの守りたかった国を守ってやりたいと考えてしまえば至る所にジェラールの足跡があるこのアバロンを離れられなくなってしまった。
ひとつ、未練があるとすれば皇帝に選ばれなかったこと。
そこまでの信用を得られていなかったのかと当時は荒れたことを周りは知っている。そもそもがヘクターとジェラールの絆は端から見てもわかりやすいほどで、次代の皇帝はヘクターが指名されるのではないかという話は近しい者であれば頷く人選であったのだ。
「本当は、言うつもりなど無かったと、どうか信じてくれ。これは……ジェラール様への裏切りみたいなものだ」
次にはヘクターの息が止まる。たったの一瞬ではあったが、彼から呼吸を奪うには十分すぎた。まさに今彼のことを思い出していた。ヘクターの主。それはきっと一生変わることが無い。
「……なんで、ジェラール様の話になる」
「君の疑問の答えだよ、ヘクター。私が君に近づいてしまうのはね、何度も言ってるが私の意志ではないんだ。だけど君を見ると自然と足が動いて手が動いて声をかける。これを私の心がさせているのだと思うか? 答えは否だ。私の意志ではないんだ。ではどこから出ているのか」
そこで言葉を切った皇帝は、とん、と自分の胸を人差し指で柔く指す。その内側を覗くように視線も指先に集めて。
「私の中の……ジェラール様の心が、きみに近づきたがってしょうがない」
一体いつから、とヘクターは思う。
ヘクターの覚えているジェラールはヘクターのことを皇帝と臣下という枠を越えたまるで友人のようにも心を交わした相手であった。少なくともヘクターはそう思っていた。うまれて初めて金の絡まない信頼と呼べるものを与えてくれた人。
その間に、何も無かった。
何も無い、はずだった。
単純にうまくその感情が自分に向けられていたということを理解できずにヘクターは口をつぐんでしまう。
だが今ヘクターを見上げる眼差し、仕草に覚えがあった。
今の皇帝に、過去のジェラールがまた重なる。
ヘクターの前でジェラールはよくこうしていた。
鮮明に思い出せるほどに。
それはつまりそれだけの数が繰り返されたということでもあった。
だが……答え合わせをしたかったひとは、もうここに居ない。
ここに居るのは、その気持ちの記憶だけを抱えた、別人だった。
「もう一つ、教えてあげる。私が皇帝になったのはね、ジェラール様が私を選んだのはね、きみの次に皇帝に相応しかったからだよ」
混乱の中にいるヘクターはしかし聞き捨てならない言葉を聞いて目を見開く。
「どういう意味だ?」
「そのままさ。私は二番手。だけど選ばれた。それだけ」
「何故オレを選ばなかった!」
抱えていたものが、もう抑えることが出来ずヘクターの喉から吠えるように迸る。
ずっと考えて居たことだった。
どうして、ジェラールはヘクターを選ばなかったのか。
目の前の、ジェラールから託された皇帝は静かにヘクターを見ている。ヘクターも視線を返しその中にジェラールの意志が見えないかと探るが映るのはジェラールとは違う色の瞳だけ。
「……それは、私も知らない」
「そんなことを信じられるとでも思うか? 今更だ! 今まで語ったジェラール様のことが嘘になるってことだ!」
ヘクターは衝動的に皇帝の胸ぐらを掴んで叫ぶ。だが対する皇帝の目は凪いでいて、「離せ」と静かに諭すようヘクターの手に手を重ねる。
「本当に、その部分だけ、かたくなに教えて下さらない。きっとご自分で、もっとも深い場所にしまい込んでしまっているか、あるいは……ずっと前から、当たり前のように決めていたか」
だから記憶の中に無いのだと、皇帝は語る。
「どうやったって言うつもりは無ぇってことか」
「知らないことを喋ることは出来ない」
「どうだか」
もうどうあっても喋るつもりはない、とヘクターは察知した。
たとえ自分の命を擲って皇帝に対して答えを口にするまでは続けると宣言し酷く痛めつけたとして、答えは貰えないと、そう感じた。
本当の所はわからない。何かの思惑がありジェラールの記憶について口にすることを留めているのかもしれないし、お行儀良く言い分を信じるのであれば知らないという可能性も、一応はある。一番可能性として低いとヘクターは見ているが。
「……んで、今その話をした」
「君が聞いた」
「付き纏うのをやめろと言いに来ただけだ」
「おや、確かに質問だったよ。『何故付き纏うような真似をするのか』とね」
「テメーが皇帝に選ばれた理由なんざ聞いてねえ」
「言うなら今だと思ったから、かな」
あのね、と皇帝は前置きする。
「もう私の中で押しとどめ続けていることが難しくもあった。どうしたって、私の足が勝手に君に向かう。まるで自分が恋をしたかのように心臓が跳ねる。君はいつでもあきれ顔で私を見るね。それはそうだ、付き纏われて厄介だったろう。私にだってそれは分かる。君の態度もそうだったし、周りの態度も、すぐに流れ始めた噂話も。気付かないわけがないだろう」
戸惑いもあった、自分が自分でないような感覚に振り回されたと皇帝は語る。
「……だけれどね、私は、この気持ちを抑えることを、出来なかった」
先ほどは指さした己の胸を、今度は右手でぎゅうと握り込む。
「そんなこと出来るものか。こんなにもきみを思っているジェラール様のお気持ちを、私などでは抱えきれないんだよ。この気持ちはジェラール様のもので、私のものじゃない。けれど……たぶん、今ヘクターと話をして良かったんだと、思える。だってね」
皇帝は目を潤ませ、けれどそこから溢れないように、押しとどめるように、忙しなく瞬きを繰り返して皇帝になる前の姿を思い出す顔で、笑う。
「時が経ってしまったら、私はレオン様、ジェラール様と混ざって、誰だか分からなくなりそうなんだ」
ヘクターにはその言葉が少し分かる気がした。
それは先ほど彼が見た……今の皇帝に重ねて見えたジェラールの幻影が、分からせてきた。
「その後に言ったら、自分の気持ちだったと勘違いしそうで恐ろしい。今は断言できる。このきみを愛おしいと感じている心は……間違いなく、ジェラール様の心が思わせているのだと」
だが、だからと言って、それを今伝えられたとして。
「どうしろってんだ」
「ジェラール様のことを、どうか君が、抱えてあげておくれよ」
急に差し出された素の心を、ヘクターはおいそれと手を伸ばすことなど出来ない。
だがそれにお構いなしに皇帝は必死に言いつのる。
「私なんかが君に抱えていいものじゃない。だからせめて、ジェラール様のこの気持ちを、思われていた君が半分持ってくれないか。今すぐでなくていいから……お願いだよヘクター」
最後にはそれは祈りのようだった。どうにも出来ない事柄を、神に頼り願うような。
俯いてしまった皇帝は今何を思っているのだろうか。
過去のジェラールのことか、それとも今己の中の記憶が襲わせる恋慕の苦しみか。
だがヘクターにはすぐその手を取ることは出来なかった。
そこにある、気持ちの欠片はあまりにも清廉で美しくて。
どのように持てば良いのか、ヘクターには、何も分からなかった。

じゅうぶんおとな。