誰そ彼

ジュウベイ×最終皇帝(男)
個人的根幹の話。

「セキシュウサイ殿を殺した皇帝に膝をつくのか」
 真正面からジュウベイに向かってくるこの御仁は、やはりその剣筋と同じく素直で力押ししてくるのだ。
 ジュウベイは些少の揺るぎも無く同じように正面から受け止める。
 小童の頃であれば恐ろしさに震えて居ただろう。精一杯の虚勢を張っただろう。
 だが今。二十五の歳になった今、例え震えようとも上手く隠す術をもう学んでいた。
「……そう見えるのであれば、私の姿は従順な臣下として他の者にも写っていることでしょうな」
「何?」
 つ、とジュウベイは一歩近づき、壮年の男の耳元に下げた声量で呟く。
「私が皇帝にただ従うと、そうお思いか」
 ハッとしてジュウベイの顔を見る壮年の男は驚愕の表情を浮かべてすぐニヤリと笑んだ。
「内に入っている方が都合が良い、と?」
 我が意を得たりとジュウベイは笑でだけ返す。
「首を取るには近付く手段が無ければなりませぬ」
 ジュウベイの言葉に満足したのか、怒気に溢れていた男はくつくつと笑う。
「……その時は呼べ」
「はい」
 そのまますれ違い、両者は別々の方向へと歩き出した。
 進む度にジュウベイの足は速度を上げていく。裸足にはほんの少しだけ冷たい気配を感じる。間も無く冬である。
 板張りの廊下を裸足で歩くことを不思議に思うことなど無かった。
 それが今までは普通の事であり疑問に思う事など何も無かった。
 だが一人の男が大層驚いて興味深げに見聞きするからこれがここヤウダだけの習慣であると知った。
 銀の髪の浮世離れした男。
 ぴたりとジュウベイの足は止まる。
 日が暮れようとしている。
 夕焼け、という言葉がそのまま似合うような赤く焼かれた空がジュウベイの目を焼くように沈んでいく。
 赤い光はそのまま今いる板張りの廊下をその色でも染め、ジュウベイの羽織の赤と交わり彼をまるで風景と一体になったかのように見せた。
「……俺は、この先」
 皇帝の首を取れるのか。
 足音がして視線がそちらへと向く。
「あれ、ジュウベイ」
「陛下」
 狙いすましたかのような、今まさに頭に思い描いた人が現れ、ジュウベイはなんという巡り合わせなのかと眩暈を起こしそうだった。
 ――ああ、なんということだ。
 目の前に。
 すぐ届く場所に首がある。
「君もここにいたの? 帰るのか?」
「はい、そのつもりでこちらの方へ」
「そうか、では一緒に行こうか」
 くるりと無防備にさらされた背中。
「……ええ」
 皇帝の斜め後ろをつき従い歩く。
 明るく話しながらヤウダの夕日はきれいだと褒めそやす皇帝は、ジュウベイをまるで疑っていないかのようだ。
 それともジュウベイ如きが敵うはずもないという傲慢か。――いいや、真実目の前のこの男は、化け物じみた力を持っている。〝皇帝〟とはそういう生き物なのだ。
 そう、ジュウベイはもう知っている。
 この男が〝皇帝〟という生き物で、そしてセシルという異文化に強く興味を示す青年であることを。
 だが、いいや。
 銀の後ろ髪が外にはねて彼の首を隠している。
 いま夕焼けがその銀を赤く染め、そしてそこへ刃を浴びせれば、より一層赤く染まるのだろう。その身の血で。
 そうすれば、祖父の仇を取れるのだ。
 ――仇とは、なんだ。
 それでもジュウベイの手は腰の得物へ伸び親指が鯉口を切ろうとした刹那、皇帝は立ち止まり、背中を向けたまま言うのだ。
「ジュウベイ、まだわたしを殺すなよ」
 息を呑むジュウベイをよそに、皇帝はこう続けた。
「まだ死ねない」
 くるり、振り返った皇帝は貼り付けた笑みで首をちょこんと傾けた。そうしていると童女のようにも見える、不思議な人間。
「まあ、大人しく殺されてやるつもりもないからね」
 首を取られては大変だ。わたしは先に行こう。
 何の気負いも無しに今上皇帝陛下は宣うと、ジュウベイに見向きもせずその先へと消えていった。
 逢魔時に、ジュウベイは魔を見た心地を味わう事になった。
 
  ◇ ◇ ◇
 
「……ごめん、君の心まで欲しいとは言わない。だがこの盟約の意味をわたしはちゃんと持つようにするから……わたしを許さないでくれ、ジュウベイ」
 一人で呟かれた言葉は誰にも届くことなく、迫る宵闇が飲み込んでいった。

じゅうぶんおとな。