祝祭の明かり

 喧噪の外側で。
 この地域の特産品だという葡萄酒をちびちびと傾けながら、シャールカーンは祭の光のはじっこで中心の騒ぎを眺めていた。
 それなりの距離もあり、人垣に囲まれているからはっきりとは見えないが、今一番騒がしいことの中心にはジュウベイとセシルがいるらしい。楽し気な旋律にまぎれて知った声が届いてきた。ここからでは見るのが難しい、さてどうするかと思っていたが、眺めているうちにどんどんとセシルとジュウベイの周りからは人が遠ざかっていっている。ついに見えてしまったのは、セシルがその力を思い切り使って充分な体躯を持っているはずのジュウベイを文字通り振り回している姿であった。
「な~にやってんだか……」
 祭の空気にあてられたのか、セシルはいつもよりも開放的に見えた。
 帝都から遠いこの場所で、彼が彼としてある時間が少しでも多ければいいと、友としてはそう思う。
 まあもちろん、隣にあの青年がいるからいらぬ世話なのかもしれぬが。
「シャールカーンさん?」
 娘らしい軽やかな高音は、この喧噪の中でもよく通った。声のした方へ顔を動かせば同じ旅の仲間であるホーリーオーダーのアガタが妙に驚いたような顔でこちらを見ていた。
「よう、姫さん。楽しんでるか」
「え、ええ……ターバンを取ってらっしゃるのですね」
「ああ、それでそんなに驚いてるのか。男前過ぎたか?」
「っそうですわね!」
「おいおい冗談にはしっかりつっこんでくれ、若い娘に気を使われると別のところが痛むぜ」
「またそうして子ども扱いなさる! わたくしは正統なるホーリーオーダーの末裔なのですよ!」
 機嫌を損ねて顔を背けるその姿は、シャールカーンの郷里にいる親戚の少女を思い出させた。
 おしゃまな彼女は当時まだ年齢が一桁にも関わらず、どこで学んできたのやら、シャールカーンに「男性ならば女性をこうしてエスコートしなくっちゃだめよ」とわざわざ教えてくれた。そしてもちろんその学びの実践の相手役にさせられたことは言うまでもない。
 今はもうそんなままごとではなく本当の相手を見つけて愛を乞うているだろうか。
 らしくなく郷愁にかられたシャールカーンは思い出をなぞるような気持ちで、そっぽを向いてしまったアガタの正面へと回り込む。
「では姫よ、この私と踊っていただけませんか」
 普段とは意識して対応を変える。それは少女に向けた言葉ではなく、一人の淑女へ向けた言葉であった。
 
  ◇ ◇ ◇
 
「では姫よ、この私と踊っていただけませんか」
 耳に響くのは低く渋い男の声。子ども扱いをするなと言った矢先にまるで子どものような態度を取ってしまい後悔をしたところに、すぐさま目の前の彼は対応を変えた。
 見ないように顔をそむけたのに、わざわざアガタの視界に入るために移動して来たシャールカーンは夜会のようにダンスに誘った。差し出された手は男性らしい節くれだった大きな手。
 祭の明かりが男の横顔を照らしていた。
 砂漠に生まれたその男の、鼻梁が作る影が。彼を別人に見せ、そしてまた同時に、よく知ったひとだと乙女の恋心をりんりんと鳴らす。
 視覚からの情報が凄まじく、アガタはうっかり言葉を喉に詰まらせて咳き込んだ。
「おいおい姫さん大丈夫か?」
「――っお相手をしてもよろしくてよ」
 めったにない機会を逃すものかとシャールカーンの言葉に食い込むよう声を上げる。必死さがどうか透けていませんように、と乙女は祈る。悟られないようにと真っ直ぐにぴんと背筋を正して背の高い男を見上げた。
「……光栄ですな。姫、手を」
 差し出されていた大きな手にアガタが手を重ねると、狙いすましたかのように曲はゆるやかなものへと変わった。
 ふと周囲を軽く見回せば、男女二人組で手を絡めているものが多い。考えることは皆同じなのだ。
 妙に気恥しくてアガタは視線を落としそうになるが、すぐに改めシャールカーンを見上げた。
 国の夜会ではないのだから、礼儀作法も厳しく言われることは無いだろう。しかし生まれてからずっと王国の姫君として生きてきたアガタには、ダンスフロアへとパートナーと共に出たのならば胸を張り余裕を見せ控え目な笑顔を絶やしてはいけない、という最低限のことが身についていた。それは意識をせずとも彼女が行えるいわば呼吸と道義のもの。
 祭の明かりが彼女を照らす。誰かの息をのむ音が聞こえた、気がした。
「……大したもんだ」
「お褒めにあずかり光栄ですわ」
 雑多に踊るものが多い中、二人のダンスは目を引いた。曲はあまり聞いたことがないものだったが、三拍子で馴染みはある。国の夜会で踊るワルツと似ている。
 裾の長い衣装は彼らがターンをするたびふわりと優雅に宙を舞う。ぴんと伸びた背筋は美しく、踊るさまはつい目を吸い寄せられるほどに品がいい。
 二人が踊り続けていれば、一組、また一組、と踊りをやめて彼らを鑑賞する側へと回いく。
 そのことに二人が気づくまでに少しの時を要した。
「あら……?」
「注目されすぎたか」
 音楽に身を任せて踊ることしばし。アガタとシャールカーンの周りから人が居なくなる。まるで劇場の舞台のように、広場の中心には彼らしか居なかった。
 夢中になりすぎたことを恥じらっていると頭上から笑い声が降りてきた。
「滅多にない機会だ。思い切り踊れ」
「え? きゃあ!」
 急に腕を強く引かれてその場でくるりくるりと回される。それに合わせて広がる裾がぶわりと大きく弧を描いた。宵闇に白絹が踊る。
 いたずらが成功したとばかりに快活に笑うシャールカーン。
「シャールカーンさん!」
「城じゃこうは踊れんだろう」
「そうですけれど!」
「そら!」
 舌を噛みそうになってアガタは文句も言えない。
 くるくる、くるくる。
 独楽のように回されて、明るい広場の景色が線になる。
 その中でも、彼の顔だけがちゃんと見える。
 おわらないで、とアガタは思う。
 もうどうしようも無いほどに……このひとに恋をしている。
 曲がぴたりと止んだのは、終わらないでと祈った時すぐ。二人の足元も止まる。
 次いで鳴ったのは割れんばかりの拍手と歓声。
 舞台を見たような心地の村人たちから上がったものだった。
 それを見ていたらしい、人垣の中で一層目立つサラマンダーのアウが二人に向かって手を振っていた。
 彼ら二人は声援に応えながらアウに近付く。
「お二人ともとっても素敵でしたねー! 僕も踊りたくなる位です!」
「アウも踊る?」
「僕はそういうのは無理ですよ~。でも踊るのは好きで……あ! この曲ならちょうどいいかも!」
 また曲が変わった。今までのゆったりとした曲とは一変しスピード感のあるものが忙しなく絶え間なくリズムを刻み始める。
 人垣をかき分けて開けた場に出てきたアウはその場で踊り始めた。両手は腰に置いたまま、主に足を駆使して踊るそのダンスはエキゾチックな雰囲気を醸し出す。けれども単純なステップの繰り返しは実に真似しやすい。途端にアウの周りで子どもたちが喜々として真似をし始めた。
 その輪はどんどんと広がって、空気にあてられたのかシャールカーンもステップを踏み出した。
「姫さん! 踊らないのか!」
「わ、わたくしそういったものは習ったことがなくて」
「いいんだよ適当に真似すれば!」
「わあ! シャールカーンさん上手ですねえ!」
 子どもたちの輪から少し抜けて、アウがシャールカーンを褒める。
「アガタさん! 楽しいですよ、ほら、一緒に!」
「え、え、ええっ」
 アウとシャールカーンに手をそれぞれ引かれ、アガタも踊りの輪に強制的に入れられた。
 最初はおぼつかず近くの子どもに揶揄われ、けれどもやっぱり出来なくて。
「アガタ、こちらへ」
 どうしようかと思っていたら、シャールカーンがアガタの手を取った。とても自然に。
 向かい合って立つ。周りは曲が賑やかに響き人々の声がそこかしこで立っていて騒がしいのに、不思議とアガタの周りから音が消えていく。彼女の目の前には……恋をしているひと。
 両手をつないで向かい合う。
「大丈夫、慣れれば簡単だ。姫さんなら出来るさ。まず右足を出す……ほら」
 言われるまま、右足を出した。次に出した右足を引っ込め左足の番。これまでアガタが踊ってきた男女二人でのダンスとは違って、その場で跳ねるようにステップを踏み続ける。
「さあ繰り返しだ。見てろ」
 一巡したステップが終わるとシャールカーンはいまアガタに教えた一連のステップを踏む。
 アガタの手を、握ったまま。その顔は少年のようだった。
(変だわ、わたくし……男性のことを、かわいい、って、思うなんて)
「さあやってみろ」
「っえ、ええと、はい……」
 右足、左足、つま先を立てて、かかとを立てて、トントン、トトン。
「できました!」
 落ち着いてやればなんてことはない。簡単な足運びにアガタは歓声を上げる。
「よし! さあ、いくぞ!」
「えっ」
 しかし喜んだのも束の間、またあの賑やかな踊りの輪へと飛び込んだ。
 音楽が近付く。軽快なリズムを刻む太鼓の音。メロディを弦楽器が、いつの間にか高い音の笛も鳴って、いっそう賑やかに祭の夜が彩られる。
 アガタとシャールカーンは手を取り合い向き合って、リズムを聞く。
 1、2、3、1、2、3――いま。
 右足、左足、つま先を立てて、かかとを立てて、トントン、トトン。
 もっと。
 右足、左足、つま先を立てて、かかとを立てて、トントン、トトン。
 もっと、もっと。
「うまいぞ姫さん!」
「あなたよりも上手いわ!」
「それは言いすぎだ!」
 少年のようなその人と、アガタは踊る。
 月はとうに、空のてっぺんに昇っていた。
 
  ◇ ◇ ◇
 
「つ、つかれ、ました……」
「はっはっは! まだまだ鍛え方が足りんなァ姫さん」
「あな、たと、一緒に……しないでくださいませ……!」
 踊りの輪の外側、祭の熱気とは少しばかり離れた静けさのある場所まで下がった二人は縮まった距離のまま話していた。
 曲の切れ目でやっと踊り止めたアガタは息を上げているというのに。隣で平然としているシャールカーンを恨めしくにらむ。しかし彼にはきかず、「おおこわいこわい」と肩をすくめられただけだった。
「シャールカーンさ~ん! アガタさ~ん!」
 と、そこへ子ども達を引き連れたアウがやってくる。
「みなさんお上手でしたね~! 一緒に踊れて楽しかったです!」
 邪気無い彼はいつもこうして場を和ませる。それを狙ってやっているのかどうなのかは判然としないが……それもまた彼という者なのだろう。
「アウも上手かったぜ。当たり前だがな」
「ええ、本当に。足さばきがやはり違いましたね」
「えへへ、そう言われるとなんだがむずむずしちゃいますね」
 屈強なサラマンダーの戦士であるはずのアウだが、こうしているとそこらにいる青年たちとなんら変わらない。
 彼の種族的外見は、一見すると距離を取りたくなってしまうものではあるが、アウは不思議と親しみを感じ取られやすく仲間のうちではいつでも誰よりも先に行く先々で話し相手を見つけていた。
「ああ、そうそう。さっきのお二人のダンスも、なんだか余計に懐かしかったです」
「え?」
「うん?」
 にっぱり、笑ったアウはその輝かしい笑顔のままさらりとこう言った。
「お二人で手を繋いで踊っていたでしょう? さっきのダンスはですね、本来ああして二人で向き合って踊るんです。郷里では伝統的な求愛のダンスなんですよ~! シャールカーンさんとアガタさんが踊ったみたいに、結婚式で新郎新婦が踊るんです。それが式の見せ場でとても盛り上がって……」
 嬉し気に語るアウの前でシャールカーンとアガタは思わず互いの顔を見合わせ、アガタが先に顔を逸らした。
 周囲が生暖かい視線を送る中、急に黙った二人にアウと子ども達だけが不思議そうに首を傾げていた。
「あれ、みんなどうしたの? お開き?」
 そこへセシルが楽しそうに片手を上げてやってくる。背後には息の上がったジュウベイを従えていた。
「あ、陛下! いまみんなに郷里のダンスを教えていて」
「へえ、どんなの?」
「それはですね~」
「アウ! 待て! 被害者を増やすな!」
「そ、そそそそうです! 意味があるものならば最初から説明をしてください!」
「被害者?」
「意味?」
 一度落ち着いたはずの空気はまたすぐに熱を上げていく。
 その高まっていく熱はなにもその場所でのみあるものではない。あちらこちらで歓声があがり、所によっては喧嘩が起こり、音楽家たちは変わらず陽気な音楽を奏でている。
 祝いの祭は続いていく。
 祭の中に飛び込めば、誰もがただ祭を楽しむ一人一人となって、俯瞰して見ればそこにいるのはただの祭の参加者でしかなく、村人も兵士も男も女も臣下も皇帝も関係なく、ただの風景になる。
 夜空にふわふわと浮かぶ光たちがいつもと少しだけ違う村の夜を彩り、救いを喜び、またはなくしたものを慰め、日常に戻るための音楽を紡いでいく。
 その中で「誰」を関係なく、感情を分かちあう人々の一人、幻想的な夜の一部となって、皇帝たちもまたいつもと少し違う夜を喜び戦いの日常に帰っていく。
 いつか。
 懐かしく思い出すこの祭の明かり。
 今はまだ、その明かりは灯り続けている。

じゅうぶんおとな。