知らずの癖

ひとくち話

今日はキスの日だって聞きました。なので書きました。でもあんまりキスを書いて無いのでそのうちちゃんとちゅっちゅしてるやつ書きたいなあと思いました。

大体いつもと同じ味です。お楽しみください。

「ジェラール様」
「なん……」
ヘクターの指は男らしさを体現するようだ、とジェラールはいつも思う。
その指が……黒革に覆われた指が、ジェラールの顎をすう、と撫でる。
「っえ」
その動きが、ジェラールに緊張をもたらす。
「ああ、動かないでください……」
意味ありげに伏せられた目。こうして見るとこの男も顔がひどく整っている。普段の粗野な対応から乱暴さばかりに目を引かれるからかジェラールがヘクターの見目を褒めると周囲もあまり同意をしないが一部の者はきちんと頷く。
そんな男と、ひとの出払った執務室、ふたりきり。
報告の確認にふたり立ったまま隣り合っていたのが良かったのか悪かったのか。ヘクターのまつげをしげしげと眺められる距離にまで近づいている。いや、近づかれた。
それはジェラールがヘクターにだけ許している距離。
いつもそうだ、こうして距離が一歩、臣下としての彼の領域から外れるとジェラールの胸に納めた心臓が勝手に暴れ出して耳に届く。どくどくと鳴る音が目の前の相手にばれやしないかと思うほどに強く大きく。
こうなったらもう決まっている、あとは――
「取れた」
「は?」
ぎゅ、と瞑っていた目を思わず開いた。
もう距離はおかしな場所に無く臣下としての彼の位置に戻っている。
「珍しいこともありますね、アンタが顔にゴミ付けてるなんざ」
そう言ってヘクターが人差し指と親指で挟んだ花びらをひら、と一振りしそのままぱっと離した。
「……ああ、さっき、付いたのかな……庭で今ちょうど見頃なんだよ」
ひらひらと落ちていく花びらを視線で追いながら勘違いを悟る。
あんな雰囲気になって、まさかただ顔についていた花びらをこの男が取ろうとするなどジェラールには思いつかずただいつものように、そうだ、いつものように――口付けられるかと思ったなどと。
何故ならば、ヘクターはいつも口付ける時にジェラールの顎をすう、と撫でるのだ。
ついさっき、ジェラールの顎を撫でたように。
だからそうだと思ったけれど。
(恥ずかしい! 恥ずかしい! 恥ずかしい……!)
徐々に登ってくる羞恥心を押し込めて普段通りに話すよう努める。
だが、ヘクターはどうにも、誤魔化されてくれていない。証拠に訝しげに片眉を上げている。
「執務の合間に休憩しようと思って外に出たんだ。いつこんなところに付いたのかな、服について来てしまったのだろうか、それとも」
「なあ」
ぴたり、言葉を止められる。
「何?」
「知ってるか、アンタ」
「……何を?」
く、とヘクターの喉が鳴る。何度も聞いた事がある。機嫌のいい時に彼が笑うとそうやって喉が鳴る。まるで野生動物だ。
その野生動物のような男がいまジェラールを追い詰めている。狩りをするように。
「アンタが都合の悪いことを誤魔化そうとする時、そうやって早口でどうでもいいことを垂れ流す」
「馬鹿を言うな、大体きみ」
「そら、またオレの言葉を遮ろうとする」
ぐっとジェラールは口を閉じる。不利を悟った。視線を外してせめてもの抵抗としたが顎を取られた。流れるようにすう、と撫でられた顎。
「あ」
それは合図だ。
ジェラールは先ほど勘違いをしたけれど、今度は違う。
逃れようと思っても遅かった。
かぷ、と食むような口付けから始まったふれあいにジェラールは瞬時に腕を突っ張り距離を取ろうとするけれど、こうした時のヘクターは実に巧妙でその腕にとらわれたら逃れられたためしがない。彼がわざと放そうとしたときをのぞいて。
男の手がジェラールのうなじを捉え捕捉し、腕と同時に突っ張った脚の間に身をねじ込み腰に腕を回す。
「へ、……ぁ、ぅん……っ!」
唇の離れた一瞬を窺って抗議の声を上げようとするけれど逆に口内への侵入を許してしまう。
乾いた唇のあわさる交合が湿った深い口付けに変えられる。
鼻から抜ける濡れた声ともつかない声を上げて、とうとうジェラールは観念した。
有体に言えば絆されたのだ。久しぶりの体温はあまりにも甘やかで身を委ねたいと思ってしまったのだから仕方がない。
ふっと抵抗をやめてヘクターにしなだれかかる。
それはヘクターにも即座にわかったのだろう、執拗に唇を責めていたが急に離して代わりとばかりに鼻先同士をぴったり合わせる。
至近距離で目が会う。
「諦めました?」
「ああもう!」
「何そんな拗ねてるんです」
上機嫌らしいヘクターは、ジェラールの顔じゅうに口付けの雨を降らせる。嫌がらせにしか思えない。
「結局するんじゃないか!」
「はあ? なんですか、したかったんですか?」
「違う! きみが紛らわしいことをするからいけないんだ!」
「アンタいつもオレのせいにしますけど、そのことに気づいてます?」
はた、と気づく。そう言われてみるとそうだった。
「……すまない」
「謝るの早過ぎません?」
「いや、だって、そうだなと、気づいて」
「……はあ」
「私が、勘違いしただけだというのにきみに八つ当たりを」
「勘違い? 何がですか」
「いつもきみが口付ける前にこう、顎をさするだろう? さっき花びらを取ってくれた時にそう勘違いをしてしまって、それをきみに悟られたくなくて意地を張ってしまって……こんなことになるのであれば最初から言ってしまえば良かったのに」
改めて口にするとなんと恥ずかしいことだろう、と視線はどんどん下に下に落ちていく。ジェラールを苛む羞恥心にちくちくと刺されるが、素直に話す以外にジェラールは手段を取れずヘクターの腕の中で彼の胸に顔を埋めながらぽつぽつと語った。
ところが、すぐにでも呆れた声を上げてきそうなヘクターが何も言わない。
不意にジェラールは顔を上げる。
「ヘクター?」
見上げた先にはヘクターが口元を片手で覆って顔を逸らしている。
ジェラールはぱっと脳内に浮かんだ言葉をそのまま口にした。
「もしかして、あれって無意識だったのか?」
「知りません」
声は平坦だったが、ジェラールには何かがわかった。
ほろっと口から出ていった言葉はどうにも核心をついたようだ。
「ヘクター? ……ねえ、もしかして、照れて」
「照れてねェ」
ヘクターの腕でできたやわらかな檻の中でジェラールは実に軽やかに笑い声を立てる。
「きみ、あれ、ただの癖だったのか」
ふふ、ふふふ、とジェラールは笑い声を抑えることが出来ないまま笑い続ける。
面白くなさそうなヘクターの顔を見てまた笑う。
すると、笑いのおさまらないジェラールの顎がすう、と撫でられる。
「……ヘクター、する?」
今度は羞恥に刺されること無く、むしろ余裕をもってジェラールは問う。そのくらいのことは出来るようになっていた。
けれど。
「ええ。アンタがオレのその癖を分かるくらい何度も口付けたことが分かったんで」
ジェラールの笑いがぴたっと止まる。
「そんなに、オレと口付けしたことを覚えておいでなんですね? その秀でた頭は、そんなこともしっかり覚えていると」
つ、つ、つ、といたずらな指先がジェラールの顎を撫でたあと首筋を徐々に下がっていく。
「……あの、ヘクター」
その指先にたどられたところからジェラールは火をつけられたように熱を宿していくことを自覚する。
「ああ、それにアンタ、こういう時どんな顔してるか知ってるか」
見下ろされたジェラールは呼吸を忘れてただ己の胸の中で暴れる心臓のおとを聞いている。
「物欲しそうに、オレを見るんですよ」

 ◇ ◇ ◇

「……陛下、報告書をお持ちしました」
「ああ、ありがとう」
ヘクターと入れ替わりでやってきた政務官から報告書類を座ったまま受け取り、軽く目を通す。
沈黙が落ちる室内で、妙な空気を感じ取りジェラールは目を上げた。そこにはもの言いたげな政務官がいる。
「どうした?」
「は……差し出がましいようですが……先ほどの、ヘクターの様子が気になりまして。随分と機嫌の良い様子で下がって行きましたので。あの男があのような態度を取るなどあまりに珍しいものですから……何かおありになったのかと」
報告書のことで何かあるのかと思っていたジェラールに、その問いは予想外で書類を持つ手に力が入る。
「いや……何も。どうしたんだろうね? ああ、そうだ。この件についてだけど……」
整えた笑顔で答えれば、それ以上の言葉は無く、二、三書類についての申し送りをし政務官は去っていく。
その姿を見送り、扉が閉まったのを確認してからジェラールは椅子に座ったまま目の前の執務机に突っ伏した。
かっかと熱い体温はきっと気のせいではない。頭から湯気でも出ていると言われたら信じただろう。証拠に執務机にぺたりとついた額はその冷たさを享受している。
その間にも溢れ出てくる様々な感情にジェラールは翻弄される。言葉にできないものをどうにも出来ずにただ身悶える。
まだ、執務室にはたったひとり。
いつ誰かが来るともわからない。
だから早くこの熱をおさめてしまいたいのに未だ吐息は熱く、唇は火照りを宿している。
「……初心者にあの男は荷が重すぎる」
まだこの熱は引きそうにない。

じゅうぶんおとな。