【新刊サンプル】この子 どこの子 ×××の子。

間に合うかガチで分からない新刊のサンプルです。

11/16に出るスパークにて発行出来たらいいなあ……というヘクジェラ本のサンプルです。尻叩き&ギリギリだと何も出来ないくらいガチ目にギリギリまで書くのが今から確定しているので今出しています。

ちなみに、現時点で確定していますが「コピー本での発行」です。
なのでまた次のイベントで大幅加筆修正して印刷所で刷ってもらって出し直します。去年もやったアレをまたやりますこいつは……
本の方はそれでもいいよ〜という方はお手にとって頂けると嬉しいです。

ただ本当に間に合うかめちゃくちゃ見通し悪いので、最悪途中までを固めて準備号として出し、後日完本を出す、という流れもありえます。でもなんとか書き切ってコピー本出したいというのは諦めてません……がんばります……!

さて内容について。

珍しくちょいちょいTwitterの方でも言っておりましたが、すばらしアンソロジー(小さなヘクジェラアンソロジー)さまに参加するために書こうとして、でもどう足掻いてもこれ12Pにおさまりませんよね?と自問自答をした結果、個人誌で出したい!となって方向転換した話です。

というわけで、こちらにも小さなヘクジェラが、出ます!!!!!!という話です。

冒頭約9000文字を掲載しています。

合う・合わないのある内容だと思いますのでご覧になってから最後まで読むかお決めになってください。

書き始めてみたら思っていたのとは違う方向で走り出したので自分でもどうやって展開していくか分かりませんが最後はもう書いているのでそこに辿り着けるようがんばります。

なお、冒頭部分も最後の推敲時に修正が予想されるため、こちらに記載しているサンプルと、実際の本の文章が異なる場合があります。ご理解いただけますようお願いいたします。今勢いだけで書いているので……

サンプルお楽しみ頂ければ幸いです。

この子 どこの子 ×××の子。

 序
 
 ジェラールはぱっと目を上げた。そこに今まで無かったぼんやりと青く発光している本が出現したのだ。
 うす暗い書庫の中、ジェラールの手元を照らす以外に照明は無いはずだというのに、その本は、本自体が発光していた。ぼんやりと、存在を控えめに主張するように。
(きれい)
 それは今読んでいる本からその発光している本へ興味が移るのに十分な変化で、手にしている帝国史の本を閉じて立ち上がると、吸い寄せられるように発光している本に近づく。
 不思議と危機感は無かった。
 ジェラールの短い足でも、その本への距離は数歩。目の前に迫ったひかる本に手を伸ばす。それが当然だというように戸惑いも躊躇も無かった。
 棚の中で直立不動であったそのひかる本は、ジェラールが本の背のてっぺんに指をかけて手前に引くと、隠れていた表紙部分があらわになったと同時、激しくひかりジェラールの森の緑をした目を焼く。
「わっ!」
 思わず目を瞑る。
 一瞬の浮遊感。
 
 トン、と帝国史を刻んだ本が床に落ちる。
 薄暗い書庫には、もう誰もいなかった。
 
 







 
 
 一
 
 皇帝ジェラールはため息をついた。彼の手には今し方中身を一応眺めてから閉じた釣り書きがある。その中で優雅に微笑む淑女の絵姿も挟んであったが残念ながらジェラールにはこれまで見た釣り書きと同様違いが分からない。〝素晴らしい血筋の生まれが確かなきちんとした淑女〟であることは分かるが。
「……陛下、いかがですかな」
「見たよ」
「そうではございません! 一体このご令嬢で何人目だと……」
「私にはまだ妃を取るのは早すぎると思うんだ」
「そんなことはございません! 陛下のお年には先帝レオン様はもうジェラール様のお母上を娶っておられましたぞ!」
「私と父上は関係ないじゃないか」
「そのようなことをいつまでも仰っている場合ではございませぬ! お世継ぎの一人もいない今! 早々に伴侶を得て」
 熱を上げていく年嵩の政務官相手に、さてどうやって切り上げようかとジェラールが口を開こうとした時。
 彼の背後でけたたましい音が響き扉が開く。音と同時に姿を現したのはもはや慣れた姿だ。
「……ヘクター、取次は?」
「っまた貴様は!」
 ジェラール、政務官が続けて声をかけたのはけたたましい音を立てて扉を開けて侵入してきたヘクターだ。
「必要か?」
「必要に決まっているだろう!」
 ジェラールは額を抑えて首を横にふり、政務官は反射的に激昂した。
 だが幸いにして彼の興味は一度ジェラールを外れヘクターを叱責することに移ったらしい。
 二人の姿を見ながらジェラールは小さくため息をつく。
 この時ばかりはヘクターの覚える気のない取次なしの訪問に助けられる。
 ……いや、最近はよくこの展開で助けられている。
 果たしてそれが故意なのか偶然なのかジェラールにはわからない。
 だが、事実として助かっているのだから有効活用はしよう。
「ヘクター、ちょうどいい。場所を変えよう。付いてくれ」
「はい」
「ジェラール様!」
「あれは下げてくれ。私の意志は変わらないよ、いいね」
 それだけを言い置いて執務室を出る。まだ何か言い募ろうとしていた彼を置いて扉を閉じさせた。
「ヘクター、おかえり。今回の遠征の報告……で良いんだよね?」
 廊下を進みながら、一歩後ろに付き従う彼に声をかける。
「ええ、まあ」
 あまり話を続けるつもりが無さそうな返答に疑問符を浮かべながら歩みは止めない。
 角に差し掛かりさらに人は減る。
 奥へ行けば行くほど入れる人間は限られてくる。
「ルドンの方はどうだった? あちらの方はモンスターの強さが一段違うと、っ!?」
 急に二の腕を取られ背後に引っ張られる。
 そんなことをする人間は一人しかおらず、だが腕力の差は埋め難い。
 まんまと引っ張られるまま廊下の窪んだ少しだけ見つかり辛い場所に誘われる。
 抗議のために見上げた先。
 重力に従って落ちた髪の毛のカーテンに閉ざされた男のよく見れば整った顔がジェラールを見つめていた。
 普段は鋭く尖った野生の獣のような目をした男が、空の蒼をした瞳を和らげてジェラールをただただ柔く見つめているのだ。
 その和らいだ目元に目を奪われたのが良くなかったのか。
 そのままごくごく自然に口付けられて、ジェラールは目を見開く。
 どんどん、と何度も硬い胸板を鎧の上から叩くがヘクターには微塵も届いていない。
 顔を背けてみようとすれば、両頬をがっちりと捕まれ離すことはかなわない。
 このままではまずい、とジェラールは手のひらを口付けの合間に無理やりねじ込んでやめさせる。
「……ヘクター、まて、せめて部屋に戻ってから」
「良いじゃないですか。他に誰もいませんよ」
 もごもごとジェラールの手のひらの中でヘクターは呟き、べろりとジェラールの手のひらを舐めた。
「きみがそう言うならそうなんだろうけど、っ」
「ジェラール様」
 囁かれて鼻先と鼻先がくっつく。
 もう手のひらはとっくに取り払われて、ヘクターの雄臭い骨ばった手に捕まってしまった。
 無防備になったジェラールの唇にヘクターのそれがいとも容易く重なる。
「へく、」
 再び降りてきた唇に文句を吸われながら角度を変えて何度も重ねる。
 それは次第に深くなり息を上げていく。
 久方ぶりの体温は触れてしまったことでジェラールの飢えを思い出させ、唇で触れるだけでは足りない渇望が顔をのぞかせる。
 存在を確かめるようにジェラールの手はヘクターの背に回り男に抱き付いた。
 心得たように、ヘクターの片手がジェラールの腰に伸び更に引き寄せられ二人の間の隙間を無くす。
 吐息を紡ぐように絡めてひたりとくっつきあう身体は心地よい。
 幾度も重なった唇が離れていき、ヘクターはこれで終いだとでも言うようにジェラールの頬を手の甲でひとつ撫でる。
「……おかえりヘクター」
「ただいま戻りました」
 ジェラールはそうしてヘクターの腕の中におさまったまま、彼の胸に頭を預けた。
 ――ジェラールがヘクターと〝こういう仲〟になってから二年が経っている。
 手を伸ばしたのはヘクターとジェラールどちらもで、それは本当に信じられないほどの偶然の重なりと、すれ違いと、紆余曲折を経て互いが手を取ることを決めてのことだった。
 だがこの関係に名前はない。ジェラールもヘクターも互いの間にあるものを愛だとか恋だとかいう言葉を用いてしまうことを忌避している。そのようなものではないとどこかで思っている。
 けれど互いの間にある妙なつながりを、おそらくは、それをきっと人は――愛と呼ぶのだろう。多分。
 しかしジェラールとヘクターの立ち位置を含めて考えれば認められる関係でないことを分からないほど馬鹿でもなく、酔ってもおらず、狂ってもいなかった。ジェラールは皇帝で、ヘクターは帝国に属する一人の戦士だ。公にすべきではないしそのつもりも今は無かった。ただ互いがいればいいと言外に心得ていた。
 それでも近しい人間にはきっと知れているだろう。彼ら彼女らが口をつぐんでいるのはその方が都合が良いからだ。
 先ほどの政務官も〝知っている〟ものだろう。だとしても彼は政務官としてジェラールに縁談を持ってくる。皇帝の身であればそれは当然でジェラールとて分かっている。
 ……だが決して、ジェラールが妃を取らないのは心に住まわせる相手がいるから――この男がいるからではない。
 そうではないが……それでも。
(世継ぎ、か)
 まだ兄がこの帝国を継ぐのだと思っていた頃、ジェラールはなんとなく兄が伴侶をめとり兄かその伴侶に似た赤子をそのうちに抱くのだろうとぼんやり考えていた。
 それほど、帝国の跡継ぎである存在に子を成すことは当然であり、兄の所に世継ぎが生まれれば次は己が伴侶を娶って子を成し「もしも」に備えることもあるだろう、と。そんなことを考えてもいた。
 けれど今状況は一変している。
 父も兄ももういない。帝国の血を持つ人間は自分だけになってしまった。
 そうするとこの帝国を継ぐ血筋の人間は自分の子以外にあり得なくなる。
 あれほど思い描けていた未来の皇帝一家がいざ自分が中心に置き考え直さねばならぬならば……不思議に何一つ見えてこない。
 隣にいるはずの伴侶も、その腕に抱くだろう赤子も、顔がぼやけて全く見えない。
 何も思い描けない未来の姿を考え、ふと、こう思う。
(きみの子どもって、どんな感じなんだろうね)
 ジェラールを抱(いだ)く男の頬を指でなぞりながら思う。
 ジェラールの頭の中には、ヘクターをそのまま小さくしたような少年が剣を持ち快活に笑う姿が描けてしまった。


 
  † † †



「……暑いな」
 ぱたぱた、と手で顔を仰ぎながら、ジェラールはヘクターを従えアバロン宮殿の廊下を歩いていた。
 強引に上げられた熱を自覚しながらもささやかな抵抗だがヘクターにはきかないらしい。
「では部屋で休んでいきます?」
 にや、と笑った気配がしてジェラールは顔を顰める。
「馬鹿言うな」
「残念です」
「きみは……もう」
 軽口を交わしながらも足は止めない。規則的な靴音が二対時に重なって響く。
 先ほどまで近くにあった体温は今は離れ帰還を喜び合うのは夜にして今は先に片付けるべきものを片付けるために玉座の間を目指していた。
 ――もっとも、ヘクターがあのような行動に出なければ話を聞くのはジェラールの私室の予定であったのだが。
 ほどなく玉座の間へと辿り着き、ジェラールが玉座に腰を下ろす。
 普段と同じように階(きざはし)一段分の隔たりを持ってヘクターはジェラールの前に跪いた。
「ふー……さて、ヘクター。先ほどの報告を……ヘクター?」
「誰か来ます」
 その一言と共にヘクターはその場で立ち上がり後ろ――玉座の間の扉を振り返り腰に差した剣の柄に手を置く。
 程なくして玉座の間に続く扉の前で誰かが言葉を交わしているようなさざめきが届いた。
 流れるように取次のものがやって来て、ジェイムズがジェラールに直接報告のため謁見を願っていると伝えてきた。他にテレーズもいるという。
 一度ヘクターに目線を移す。
「ヘクター、きみの話をあとで聞くよ」
「アンタがそうしたいならどーぞ、ご自由に」
「ありがとう。――ジェイムズをここへ」
 ジェラールの一言に取次のものは下がり、代わりにジェラールの前にはジェイムズと、彼に続いてテレーズが布にくるまれた何かを抱えてやって来た。
 ヘクターのいる場所と同じ、ジェラールからは一段下りた場で二人は膝を折り首を垂れる。
「御前お騒がせし申し訳ございません、ジェラール様」
「きみが珍しいね、ジェイムズ? 一体どうした?」
「は……早急にご報告すべきと思い失礼を承知で申し上げたく存じますが」
 すっと顔を上げたジェイムズは周囲を見回し一言、「人払いを」と願った。
 ここにいるのは当たり前だが限られたものしかいない。
 ジェラールに常に侍る玉座の間の政務官、その彼を筆頭に幾人もの政務官、文官が連なって控えている。さらに玉座の間に続く扉にはそれぞれ兵士が立ち、また同じように取次の任を持つ人間も控えている。他にも侍従やメイドももちろんいる。
 それらの者たちはいずれも出自のはっきりとした、皇帝の傍まで侍ることを許された者たちだ。
 それでもなおジェイムズは、人払いを、と言った。冗談の類いでそのようなことをジェイムズが口にするはずもない。余程のことだと悟ってすぐ横の政務官と視線を合わせる。
「陛下」
 心得たようにジェラールのすぐ傍に侍る文官がジェラールに声をかけてきた。
 ジェラールは一つ首肯すると玉座の間を閉ざすよう命じた。
 次々に扉が固く閉ざされる。
 玉座の間の中に居るのは本当に一握り。扉を守る兵士も室内のものはベアを始めとした役の付いた戦士としている。
 人払いが済むと、ジェラールは「さて」と区切りにするよう口にした。
「ジェイムズ、きみがそこまで言うなんて一体何が起こった?」
「は……私もどのようにご説明申し上げればいいのか……ひとまず、こちらをご覧ください」
 ジェイムズはそう言うと身を横にずらし彼の後ろで控えていたテレーズを促す。
 一歩前に出た彼女はすっぽりと頭巾をかぶっているちいさな布の塊としか見えないものを腕に抱きかかえていた。頭巾の隙間からは人間の鼻先とぷっくりとした頬、それから花びらのような小さな唇が覗く。
(……子ども?)
 テレーズはジェイムズと横並びになる程度までジェラールに近づくと再度膝を折り布の塊にしか見えなかったものから頭巾の部分を取り去り床に下ろす。
「陛下、こちらをご覧くださいませ」
 ふわり、とちいさな肩に落ちていく衣(きぬ)の中からたまごのようなつるりとした肌、どこかで見たことのあるような樺色の髪の毛、しぱしぱと眩しそうに瞬く目元は瞼に隠れていた森の緑をした大きな瞳を光の元にさらす。
「陛下!」とジェラールを制する声が政務官から上がるが、ジェラールは無視して玉座を立つと眼前にあらわれたちいさな姿に近づき膝を折る。
 びくり、と怯えた様子で、けれど視線を外せないのかジェラールを見上げる幼な子。
「名前は何という?」
 ジェラールが問うと、はっとした様子で居住まいを正しぴしりと姿勢の良い礼をした。
「お、おはつにおめにかかります。わたくしはジェラールともうします」
 はっと息を呑むものたちの声が聞こえる中、礼を終えた幼な子はぴんとまっすぐに背を伸ばし大人に囲まれた中で立っていた。
 ぎこちなくも美しい所作。大切に手入れされた全身と健康的な肌色。
 シンプルな白いシャツと丈の短いズボンをサスペンダーで吊って、そして白い靴下がつつむまろい脚。ぴかぴかの黒い革靴は遠い王国からの贈り物だったはずだ。
 ジェラールはそのすべてを懐かしく思いふんわりと目を細める。
 ひと目見ただけでジェラールはこの子どもが何なのか分かった。不思議な確信があった。
 ――この子は、〝わたし〟だ。
「……あの、ここはアバロンですよね?」
「そうだ。きみはアバロンから来たのだろう?」
「はい、その……」
「どうした?」
「ちちうえが、ここにいらっしゃらないのはどうしてでしょう」
「きみのお父上の名は何という?」
「レオンです」
「そうか」
 一瞬だけ戸惑う。
「私の父上の名も、レオンという。そして私の名もジェラールだ」
 まあるい瞳がより一層ひらかれて、飴玉のようにくるると丸まる。
「このバレンヌの誰もが我が父を尊敬し、また父の治世は素晴らしいものだった。今はこのアバロンの地下で、静かにお眠りになっている」
 そうジェラールが言うと、ちいさな身体を持つ方のジェラールが、自然と視線を地へと落とす。そのまあるい瞳に赤の絨毯を映して何を思っているだろう。
「ちちうえ、しんだの?」
 ぽつん、と呟かれた声はいとけなく、また強い寂しさを感じさせる。
「……だがきみの父上と私の父上が同じという確証はない。どうだろう、違いを探してみないか? そうしているうちにきみのアバロンが見つかるかもしれない」
「よいのですか?」
「もちろんだ……さあ」
 ジェラールはちいさなジェラールに向けて腕を広げた。
「おいで」
 戸惑いを見せたちいさな身体。視線は忙しなくジェラールの顔と腕を行ったり来たりしている。
 愛らしさにジェラールは目を細め、それから「触れてもいいか?」と声をかける。
 ちいさなジェラールが頷くと、ジェラールはそのちいさな身体を一息に抱き上げた。
「わぁっ」
「こうすれば違いも見つけやすいと思うんだ。どうだ、よく見えるだろう?」
 片腕で抱き上げた身体はとても軽い。視界の変化に目を回しているが、上気する頬は少年の心躍っているだろう気持ちを如実に視界に訴える。
 ジェラールはたとえこの腕の中にいる子どもが過去のジェラール自身だとして……幼な子が目を輝かせている姿は単純に微笑ましいものだ。自然と目元はほころんだ。
「まあ……」
「ジェラール様……」
 ジェラールがちいさなジェラールを抱き上げて辺りを見回す様を、本人以外は全く別の感慨でもって眺めていた。
 突然現れたジェラールによく似た子ども。名を聞くと〝ジェラール〟と名乗ったことに困惑を覚えたのはかの子どもを見つけたジェイムズだけではない。
 皇帝の血筋を感じさせる子どもなど、悪用の仕方はいくらでもある。秘さなければならないのは当然で、そのまま連れて報告にやってきた彼らが今見ている光景はなんとも眩しいものだった。
 ジェラールが妃を取らないことをジェイムズやベア、ましてやヘクターが何かを言うことはない。近しい存在であるものの戦士として共に戦場をゆく責務の比重が重い彼らには口を挟む資格は無い。それは同時にジェラールの婚姻について助けにもならないということだ。
 だが、皇帝が世継ぎを望まれるのは当然であり、そこに私情は全く考慮されない。
 国を率いる存在である以上、その血を次代へと繋ぎ紡いでいくのは義務である。
 そうしてこのバレンヌ帝国は一千年に渡り続きその歴史を途絶えさせることなく今に至っていた。
 その中で、今彼ら限られた臣下の前にはいつになるか分からなかった未来の姿……ジェラールが己の子を抱き上げている姿を急に見せられたような光景が広がっている。
 血を分けたように同じ顔をした……いや、実際は、にわかには信じがたいが、ジェラール自身である……らしいのだから似ているのは当然だとしても。
 輝かしい〝いつかの未来にある皇帝一家〟を夢想してしまうことを誰に止められようか。
「アンタでも子どもを抱き抱えるくらいは出来るんですね」
 ふつり、と玉座の間を支配していた夢のような空気はヘクターの声でばさりと切り落とされた。
 その声にジェラールが苦笑で答える。
「きみに比べれば力は無いけどね、私だって子どもを抱き上げるくらいは出来るよ」
 ねえ? と腕の中にいる幼な子に目線を合わせ、皇帝は朗らかに笑った。笑いかけられた幼な子はぎこちなく顔を笑みにかたどっている。
 夢の中にいたようなその他の臣下たちもまた、眩しく細めていた目をぱちぱちと瞬きするたびに忘れていって、会話に加わっていく。
「陛下、その子どもは……いえ、目の前にお連れしている以上は信ずる以外にないとは、思うのですが」
「うん……そうだね。私にも不思議なのだけれどなぜか分かるんだ。この子は……」
 私だよ、と口の動きだけで伝える。
 たとえ過去の己だとして、急に知らぬ場所に来てしまった幼な子に不安になるようなことを今は伝えることを選ばなかったジェラールの気遣いをジェイムズもテレーズも政務官も心得た。
 さてこれからどうするかと話の転換をしようとジェラールが口を開こうとして。
 遠くから騒がしい声が響いてくる。怒号のようにも聞こえ自然とジェラールを守るように人がジェラール中心に集まる。状況の確認にジェイムズがベアの守る扉に近づいていったのと、兵士たちの叫び声がしっかりと聞こえたのは同時だった。
「なんだ!?」
「一体何が……うわっ」
 何をどうしてそうなったか。
 閉ざされていたはずの玉座の間の扉が少しだけ開く。そこをひゅん、と影が隙間を縫うよう通り抜けた。
「な、!」
 瞬時に手を伸ばしたのは扉の前を守るベアだ。だが彼の手はほんの少し届かない。ちりと指先を掠めていってしまう。
 飛び込んできた小さい影は風のように玉座の間を駆けた。
 見通しの良いこの場所でまさしくつむじ風のようにその軌道だけを目で追うことだけが出来る俊敏さ。
 あろうことかそのつむじ風はまっすぐに玉座に向かってジェラールに突撃し――硬質な金属音をけたたましく響かせ何かに弾かれるようにしてその姿をあらわす。
「っ子ども!?」
「次から次になんなんだ……」
 赤い絨毯の上、反動で転がった小さな身体はその反動すら利用してくるくると身軽に回転し体勢を立て直して走り出そうとした所で比べれば小さな身体は大人の腕に吹き飛ばされ壁に叩きつけられた。
 皇帝ジェラールの腕にいる小さな〝ジェラール〟がきゅっと目をつぶってしまうほどの音と共に。
「ッんだぁ?」
 不法侵入者である子どもを吹き飛ばしたのはヘクターで、顔を歪めながら吹き飛ばした子どもへと近づく。
 激しく咳き込みながら吹き飛ばされた壁の前で四つん這いになっている子どもを、ヘクターは容赦なく掴み上げる。
 ヘクターが掴んだのは少年の粗悪なシャツだ。猫を掴むように背中部分の布を掴んで持ち上げた。少年は突然のことに目を白黒させながら子猫よろしく手足をぷらりと垂れさせてから、はっと顔を上げてヘクターと真正面から目を合わせた。
「ア゛?」
 ヘクターは己の目の前に少年を吊り上げて顔をこれ以上ないほどに歪める。
「っ離せよクソが!」
 子どもが少年特有の高い声で悪態をつく。
 少年はお構いなしに手足をじたばたさせて抵抗しているが大人でも敵う人間の少ない傭兵隊長ヘクターに捕らわれて逃げられるはずもない。
 その少年は肩より少しだけ長い茶と青を混ぜた髪を振り乱し、白地に墨色のエキゾチックな柄が描かれたバンダナをし、ひょろりと細長い手足には細かな傷がいくつもあってあまり健康状態は良さそうではない。
 しかし、この少年を見た大人たちはつい先ほどと同じような既視感を抱いていた。
「……ヘクター、隠し子か?」
「ンなワケあるかッ!」
 いまだに小さなジェラールを抱き上げたままのジェラールが、少年を掴み上げているヘクターに問うたのはこの場にいる全員が似たようなことを考えていたことだ。
 一喝で否定されたものの、「離せよ! なんだこのオッサン! ざけんなシネ!」と叫び続ける少年は見れば見るほど、そして行動も含めて、ヘクターをそのまま小さくしたような子どもであった。
「誰がオッサンだこのクソガキ」
「ッてェ!?」
 べちゃ、と床に落ちたのはヘクターによく似た少年。聞いた人間がすぐさま逃げ出すような低く凄みすらある声でつぶやいたヘクターが、少年を持つ手を離し床に放ったのだ。
「ヘクター、やめろ! ……ジェイムズ、この子達に部屋を用意してくれ」
 頭痛がするような気がするこめかみをおさえて、ジェラールは深いため息をついた。
「いずれにしろ今日明日でどうにかなるものではなさそうだ」
 ねえ? とジェラールは抱き上げている〝ジェラール〟に苦笑しながら話しかけ、それからヘクターに勇敢にも掴み掛かろうとして失敗している少年を見た。

続く

じゅうぶんおとな。